出会って10年以上の友人がいる。 会っていない期間も長いが、大切な友人だ。 だいぶ前に、大切な妻との間に2人の子供をもった彼がSNSに投稿したこと。 発展途上国に、学校をつくりたい。 名前は「とまりぎ」。 羽を、休める場所。 それから年月が経ち、状況は変わった。 友人の父親は旅立ち、彼はその後を継いだ。 とまりぎ以上のものを作り、彼の元にいる人たちの家族をも支えている。 誇りに思う。 今私は、人の支援をする仕事に就いている。 経験が浅すぎる私は、自分が誰かの支援をでき
チームで1人のひとのサポートをする。 支援職だけではなく、もちろん他の業種でもあるだろう。 支援の方向性や、要支援者・クライアントの意思に対しての反対意見。 そういったこともあるだろう。 実家にて。 「1人のひとに対する、メンバー各々のスタンスや向きあい方が違ったり、方向性に対して反対意見があるとき」そんな話を父親とした。 父の一言。 「反対するだけなら、それは支援ではなく判断だ。」 私たちが優先するべきことは、判断ではない。 寄り添うこと。 支援をすること。 そのた
「グループホームは、安全な環境を作ってしまう」 私が〝自立”についてなげかけた、ある日の上司の言葉。 安全な環境を作る。 私たちの仕事だ。 心が休まらない環境にいた方々に、居場所を提供する。心と身体を休めて、整えて、次のステップに繋げられればと願う。 「仕事はしない。制度を使って生きていく。」良かれ悪かれ、本人がそう決めたのなら、そしてそれでハッピーならば、私たちに言えることはない。 そして、制度を使えば、人は生きていける。 もちろんそれは、私たち全員の権利でもある。
ある日のこと。先輩と利用者さんとの会話に、少し離れたところで聞き耳を立てていた。 その内容は、まさに「支援」。 後にその会話について、先輩にインタビューしてみた。その中で出てきた言葉。 「傾聴なんて簡単なの。 どう支援していくか。」 キャリアコンサルタントを学んでいた頃、果たして何回耳にし、何回口にしたか。 「傾聴」 確かに大切。 基本。 だけど。 傾聴だけなら、誰にでもできる。 そして。 傾聴だけなら、支援にならない。 まだまだまだまだ、支援職ひよっこ。 私が向
私のひとつめの家族は4人家族。シングルマザーの母、祖母、そして母の弟である叔父。大人たちはいろいろあったのだろうし、その結果の家族構成なのだろうけれど、幼い私はただただ楽しく幸せに暮らしていた。 母が結婚し、この家族は解散。父と母と私、というふたつめの家族で暮らしはじめた。 ある年末に、母と祖母と私で、旅行に行くことになった。父の計らいもあったのだろう。行き先は日本から約4時間のビーチリゾート。母にとっては親孝行、祖母にとっては初めての海外旅行。この日のために祖母は人