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選挙で思ったこと

衆議院選挙が終わりましたね。
正直いうと私は今回の選挙にはあまり興味がなかったです。
与野党の争点が曖昧だったしはじめから結果は分かっていたし。
それよりもその前の自民党総裁選の方が面白かったですね。

それでも今回の選挙で私の注意を引いたことがふたつありました。
ひとつは立憲と共産の共闘ですね。
もちろん期待を持ったのではなく危険を感じたということですが。
彼らが政権を取らなかったということで日本は救われましたね。

もうひとつは維新の躍進ですね。
今はこういうポピュリズム政党が支持される時代なのでしょうか。
彼らは保守の皮を被っていますが中国共産党と仲良しです。
このことについても私は危険を感じました。

私が政治の話しをする時にはいつも申し上げておりますが、
私はキリスト教の伝道者であります。
私の願いは私たちの信仰の自由と言論の自由が守られる、
そんな世の中であってほしいということです。

今私たちの自由に対するいちばんの脅威は、
世の中にじわじわと浸透している人間中心的で共産主義的な
考え方だと思っています。
私はこのような考え方から私たちの信仰を守りたいのです。

そのような論点から今回の選挙で思ったことがふたつあります。
ひとつはこの国の選挙のあり方についてです。

先にも書きましたが私はこの選挙にはあまり興味ありませんでした。
それよりもその前の自民党総裁選に興味を持ちました。
なぜならば自民党総裁選が実質上この国の総理大臣を決めるからです。

ご存じのように自民党の中には保守派もいれば共産主義者もいます。
だからこそ先の総裁選は論点が明確で面白かったのですが。
共産主義者がこの国の総理大臣になることは
私たちの信仰にとって大変な脅威です。

正直なところ、このような大事な選挙に私たちが投票できずに
自民党の内部だけで決められてしまうことにもどかしさを感じました。

もちろん自民党内部の選挙なのですから部外者が外されるのは当然です。
私が願うのはこのような大事な問題は国政選挙で争えるように
日本の政治が変わってくれるといいなということです。

もうひとつはこの国の政治家の選択肢についてです。

ほとんどの国では選挙で国民が政治家や政党を選ぶ時には、
「保守」と「リベラル」(早い話しが「左翼」「共産主義」)という
物差しで選ぶことになるのではないでしょうか。
当然日本も同じだと思います。

しつこいようで恐縮ですが、
私の願いは私たちの信仰の自由、言論の自由が守られることです。
ではどちらの政治家がそれを守ってくれるのでしょうか。

共産主義者にそれを期待できるはずもありません。
中国や民主党政権下の米国で行われている宗教弾圧を見れば明らかです。
では日本の保守派の政治家が私たちの信仰を守ってくれるのでしょうか。
正直なところ、それも疑問だと思います。

その理由として第一に彼らは偶像崇拝者です。
偶像崇拝者は心の底の本音ではキリスト教を排除したがっています。
日本の歴史を見ればそれは明らかです。

その理由の第二に彼らが目指す政府は大きな政府です。
ここが米国の保守派と大きく違うところだと思います。
大きな政府は一歩足を踏み違えると全体主義へと豹変します。
共産主義は必ず大きな政府を作って全体主義化していきますし、
保守政権であっても大きな政府を目指すと、
全体主義化してファシズムに豹変する危険性があります。
それは先の戦争の歴史を見れば明らかです。

民衆の自由が本当に守られるには政府は小さくあるべきなのですが、
日本には小さな政府というオプションがないのが本当に残念です。
まあ、日本の民衆には米国のように小さな政府を受け入れられる
自主独立の精神がないというのも現実なのでしょう。
自分たちがうまくいかないのはなんでも政府の責任にする。
日本の一般大衆にそんな風潮があるのも確かですよね。

そのようなことを考えながら、
今回の選挙で私は保守派の政治家に一票を投じました。
やはり私たちの国が共産主義化していくのは許せませんし、
保守派の政治家たちが米国との同盟関係を守ってくれているうちは、
あからさまなキリスト教弾圧はあり得ないだろうと思うからです。
これにはさらに米国に保守的な政権が誕生することも望まれますが。

このように私たちはこの地上のことでいろいろと思い悩んでいますが、
これらすべては天地を創られた神が統べ治められていることです。
ですから私たちは地上のことを憂いながらも天を見上げるのです。

どうか私たち神を信じる者たちに神の守りがありますように。
どうかすべての人々が神の栄光を賛美して礼拝する、
そんな世の中になりますように。
どうかみなさんに限りない神の祝福がありますように。

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