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Merry Christmas! (ちいさな物語)

前回の「お知らせ」に書いた通り、残念ながら見送りとなった「クリスマス朗読会」ですが。そこで朗読される予定だった[ Merry Christmas ! ]を読みたい!というメッセージをいくつか頂き、はたと気づいたのです。この作品がWEBにはもう存在しないことを。どうやら拙著「田川未明の詰め合わせMOOK mi:media」(長い!)に収録した時点で、消してしまったらしい(それすらも忘れていたなんて)。

ということで、クリスマスイブの今宵、ここにアップすることにしました。が、PCに保管してあった元原稿はラストがほんのちょっと違っていて(なんで「最終稿」が残ってないのか不明ですが)。今回、少々改稿致しました(ほんのちょっとだけどね)。もしも拙著をお持ちという奇特な方がいらしたら、比べてみると楽しい、かも。

ではでは。どなたさまも、よいクリスマスを!

✼••┈┈┈┈┈••✼

        [ Merry Christmas ! ]  田川未明

 だだっ広いコーヒーショップは、閉店間際だというのに人で溢れかえっていた。効き過ぎた暖房と人いきれが、生き物のようにうごめいていて、息苦しい。厚ぼったいマグカップをカウンターに置き、店内の喧噪に背を向けるようにして、ぼんやりと壁のしみを見る。

 点々と散る小さなしみは何かに似ている、と思ったら、オリオン座だった。
 斜め45度に押し倒した、オリオン座。
 夜空を見あげて、すぐに言い当てられる唯一の星座。
 そういえば、最近星を見ていない。最後に見たのはいつだったろう。
そう思いながら壁を眺めていたら、いつのまにか首が斜め45度に曲がっていた。

 並んで腰かける彼の腕に、傾いた肩がかすかに触れる。慌てて背筋を伸ばし、その横顔に笑いかけようとして、ゆるめた頬をもとに戻す。
 分厚い資料の束に目を落とした彼は、肩が触れたことにも気づかない。わたしの視線さえ感じていない。
 彼だけが、喧噪から遠く離れて、真空のカプセルの中にいる。
 カプセルの定員は一名限り。
 わたしは入れてもらえない。

 ふたりきりで逢うのは、2週間ぶりだった。
 今日だって、取引先のクリスマス・パーティーに顔を出さなくてはならない、という彼に、終わるまで待っている、と粘ったから、ようやく逢うことができたのだ。

 別にふたりの仲が壊れかけているわけでもなく、気まずくなっているわけでもない。ただ、彼が忙しすぎるだけ。
 会場近くの喫茶店で、サンドイッチをつまみながら待つこと2時間。ようやく落ち合い、寒いから車で帰ろうとタクシー乗り場に行けば長蛇の列で、
仕方なく木枯らしに抗いながら駅まで歩き、発車のベルを耳にして階段を駆け上がり、閉まりかけた扉に飛び込んで、彼の住む町のこの駅に降りた時には、もう11時をまわっていた。

 改札を出て駅ビルを通り抜ける途中で、珈琲が飲みたい、と呟く彼にうなずいて、混雑するこの店の壁際のカウンターに席を見つけた。
 彼を待つ喫茶店で珈琲を3杯も飲んだというのに、彼が注文した大きなマグカップに入った珈琲を、わたしは素直に受け取った。
 
 ここに来るまでのあいだ、会話らしきものなど殆どなかったけれど、それもいつものことだ。珈琲を飲みながら資料を読むのも、いつものこと。仕事中も、ふたりきりでいる時も、彼はいつだって変わらない。

 そう。いつものこと、イツモノコト。
 珈琲を啜りながら、胸の中でそっと唱える。
 歪んだオリオン座を眺めながら、密かに唱える。
 唱えていれば、わたしは彼の傍にいられるのだ。有能で聡明で知的でクールな男の彼女でいられる。
 だけど。
 それが何だって言うんだろう。

 こうして一緒にいることに、何の意味があるんだろう。
 確かにこのままいけば、彼女から妻に昇格できるかもしれない。
 昇格?それがわたしの望みなんだろうか。だいたい、それって昇格なのか。そもそもわたしは、こんなに素直な女だったっけ。

 首を傾げる私の胸に、ふいに店内のBGMが飛び込んでくる。
 ノイズのまじったピアノ、低くしゃがれた歌声、南部訛りの英語。スタンダードなクリスマスソング。
 この歌は。
 古いレコードを、そのまま録音したという、あの歌。草太が買ってきた、あのCDだ。
                

 あの頃。
 短大を出て就職したわたしは、すでに社会人の三年生になっていた。なのに、同い年の草太は無職だった。就職活動をすることもなく大学を卒業し、不定期にバイトを見つけたりはしていたけれど、どれも三月と続かなかった。

 勤め先では同じ年頃の男の子達が日に日にオトナの顔になっていくというのに、草太だけが学生の頃のままだった。意気地のない飼い犬みたいにへらへらと笑ってばかりいる草太は、尻尾をぱたぱた振りながら毎日わたしの部屋に来て、主であるわたしの帰りを待っていた。

 ホワイト・クリスマスどころか、嵐のような大粒の雨が吹きつける12月24日の夜。
 ようやく仕事を終え、会社を出たときには9時をまわっていた。どこかで夕食をとる気力もなく、傘にしがみつくようにして家に戻ると、通りから見あげる窓が真っ暗だった。
 こんな時こそ、ご飯を作って待っていてくれれば良いのに。
 苛立ちながらアパートの薄暗い廊下をかつかつ歩き、乱暴にドアの鍵をあけた。そして小さな玄関に足を踏み入れた、その時。

 かちりと音がして、闇の奥に小さな光がぽつんと灯った。
 わずかに間をあけて、光がひとつ、又ひとつ。
 ぽつんぽつんと増えていく小さな光に、闇がしだいに薄まっていく。
 仄かに明るんだ部屋の中に、草太のからだが影法師のように滲んで浮かぶ。
 揺らめく光は、蝋燭だった。

 小さな部屋を埋め尽くすように並ぶ、小さな蝋燭。
 そのひとつひとつに、草太が火を灯していく。
 簡素なキッチンの上に、ささくれた畳の上に、おもちゃみたいなテーブルの上、カーテンを開け放した窓の桟の上に、爪の先ほどの蜜柑色の炎が、音もなく揺れていた。

 すべての蝋燭に火を点いたことを見届けると、草太は満足そうにうなずいて、テーブルの上に置いたCDデッキのスィッチを入れた。
 ざらついた音がクリスマスソングを奏ではじめる。男性のくぐもったようなしゃがれ声が、不明瞭な英語で歌いだす。と、それに合わせて草太が大口を開いて唄いはじめた。
 まっかなおっはなのぉ、とぉなかいさんはぁ。

 音痴だった。

 調子っぱずれな歌が一曲終わるや否や、大声で高らかに言う。
「メリー・クリスマス!」
 玄関に突っ立ったまま、呆気にとられている私に向かって、ね、すごいだろ、とにっこり笑う。

 ローソクもCDも、100円ショップで見つけたんだぜ。このCD、渋くて良いよなぁ。100本入りのローソクがなんと100円。安いよなぁ。クリスマスパーティーはこれで決まりだね、って喜んで買ってきたのは良いんだけどさ、考えたらローソクを立てるやつ――燭台っていうの?――そんなのウチにないじゃん。で、アルミホイルで作ってみたんだ、その燭台ってやつをさ。まぁ、ちょっと見てみてよ。これ100個作るのに丸一日かかったんだぜ。おかげで昼メシも晩メシも抜き。あー、ハラヘッタ。

 母親の誉め言葉を待つ子どもみたいに目を輝かせて、銀色の燭台を掲げた草太がわたしを見あげる。
 真っ黒な瞳の中で、蜜柑色の炎がちろちろと揺れている。
 小さな受け皿の真ん中に棘のような突起をつけたアルミホイルの燭台は、
どれも歪だったけど、確かによく出来ていた。よく出来てはいたけれど……。

 だけど、こんなことに丸一日かけたなんて。
 そんな時間があったら仕事のひとつでも見つけられるだろうに。おかずは鮭と納豆だけでも良いから、せめて熱々のご飯を炊くことぐらいはできただろうに。

 胸の中で渦巻く言葉を抑えこみ、私は黙ったまま、玄関脇のスィッチを押した。
 安っぽい照明器具の100Wの電球が、白々と部屋を照らしだす。驚いたように口をあける草太の傍らに、サンタの絵が描かれたCDジャケットが放り出されている。テーブルの下には、素っ気ないパッケージの箱がひとつ。
 三倍長持ち、仏壇用ローソク。

「なにやってんのよ」
 抑えたはずの言葉が飛び出した。考えるより先に声が出ていた。
「こんな狭い部屋でこんなにいっぱい蝋燭つけて。火事にでもなったらどうするのよ。こんなボロアパート、あっという間に焼けちゃうわよ。あんた、損害賠償なんてできないでしょ。職もないし、お金もないし。いったいどうするつもりなのよ。イブだっていうのに仕事でミスして、先輩に謝りまくりながら残業をしてようやく終えて、びしょ濡れになって帰ってきたあたしは、いったいなんなのよ。なんであんだだけが、そんなに楽に生きてるの。夏休みの子どもみたいに毎日楽しそうにしてられるのは、どうしてなのよっ」

 支離滅裂。
 大声で叫びながら、自分でもそう思っていた。
 妙に明るい部屋の中で蝋燭に囲まれた草太は、ただぽかんとわたしを見ていた。電球の光の下で見る蝋燭の炎は、もう戻ることのできない醒めてしまった夢みたいに、哀しかった。
 何も答えない草太に背を向けて、わたしは部屋を出た。ドアも閉めず、振り向きもせずに、薄暗い廊下を駆け出していた。

 結局、それからひと月も経たないうちに、わたし達は別れることにしたのだった。アパートの部屋も引き払うことにすると告げると、草太は「じゃあ、僕が住んでもいい?」と首を傾げた。
 抱きあげてくれる暖かな腕を待つ、捨て犬みたいな目で。
 将来有望と話題を集めていた5つ年上の彼とつきあい始めたのは、その三月後のことだった。

 資料の束をぱさりと閉じて、彼が「行こうか」と顔をあげた。
 我に返ってうなずいたときには、彼はもう立ちあがっていた。
 コーヒーショップに入って、きっかり10分。
 これも、いつものことだった。
 慌てて立ちあがる私の脳裏には、この後の予定が映画の予告編のようにくっきりと見えていた。

 店を出て、歩いて8分。オートロック付きの彼のマンションへ行き、部屋にあがると交代でシャワーを浴びてパジャマに着替え(彼の部屋に置いてある唯一の私物)、ペリエを飲みながらCNNをチェックして(その横で私は新聞を広げ、週刊誌の見出し広告をつぶさに見る)、いつも携帯している歯ブラシで念入りに歯を磨き、真っ白なシーツの上でいつも通りのセックスをしてから眠りに就き、明日の朝、8時ちょうどに起床して珈琲を煎れる。

 つきあいはじめてから2年間、今日までずっと、そうだった。特例として、夏期休暇に高原のロッジに行ったことはある。互いの誕生日にはプレゼントを用意するけれど、お祝いのディナーは誕生日当日ではなく(平日
の彼は忙しいのだ)一番近い土曜日の夜に、と決まっている。
 クリスマスやバレンタインは日本人には必要ない、らしい。お正月は彼もわたしも帰省するから、逢うときには既に仕事が始まっていて、いつもと何も変わらない。

 彼にとって何よりも大切なのは、日々が自分のペースで動いていくこと。
効率よく、機能的に、心乱されることなく、スムーズに。他人から与えられるサプライズなんて、酢豚に入っているパイナップルより許せないものらしいのだ。
 出会った頃は、そんな彼が眩しかった。その日暮らしの草太とは大違い。オトナの男はこうあるべき。そう思っていた。そんな男に選ばれたことが誇らしかった。だからいつも、素直にうなずいてきたのだった。意気地のない飼い犬みたいに。

 マグカップをトレーに載せている間に、彼はもう店の出口に向かっていた。混み合うトレー返却口で人を押しのけ、マグカップの底に貼りついていた紙ナプキンを引き剥がしてダストボックスに放りこみ、押しよせてくるゾンビのようなヒトの群れをかき分けて、ようやく店を脱出すると、彼の後ろ姿が駅ビルを出て行くところだった。

 ぴんと背筋の伸びたその背中を追いかけて外に出ると、その差はおよそ20m。ショッピングモールの角を曲がり、住宅街への道を小走りに駆けてようやく追いつき、追いついたことで安堵して、歩みをゆるめた。わずかに遅れて歩きながら、荒い息を整えていると、ふいに視界の端で光が揺れた。

 道に沿って設えられた植え込みの向うは、モールの裏手にある広場だった。その敷き詰められた煉瓦の上に、並んだプランターの間に、造りつけのベンチの背に、灯りがちらちらと揺れている。蛍のように、炎のように。

 立ち止まって目を懲らすと、それは蝋燭に似せたライトだった。炎の形をした尖端が、蜜柑色に明るく光っている。
 なるほど。これなら火事になる心配もない。
 そう思ったら、笑えてきた。
 あのとき、百円ショップにこれがあったら良かったのに。草太が買ってきたのがこれならば、苦労して燭台を作ることもなかったのに。
 ふふっと喉の奥で笑う。
 笑うつもりだったのに、なぜかそれは熱い塊となって、つんと鼻を突きあげた。
 ぐっと瞳に力をいれて、こらえる。がまんする。

 そういえば、もう長いこと泣いていない。
 草太と一緒にいた頃は、泣いたり笑ったり怒ったりして、毎日心が忙しかった。うんざりするくらいに、サプライズで満ちていた。
 草太は今もあの古いアパートで暮らしているのだろうか。
 ひとりで蝋燭を灯したりしているんだろうか。
 いや、寂しがり屋でお調子者で、ヒトを喜ばせることが大好きだったあの草太が、ひとりきりでいられるわけがない。きっと若くて可愛くて笑い上戸な女の子とくっついて、楽しくやっているに違いない。

 そうだ。草太はいつも笑わせてくれた。いつだって笑顔でいてくれた。並んで歩く冬の夜道では、空を見あげて教えてくれた。
 ほら、塔子の好きなオリオン座。
 慣れない仕事にいつもぴりぴりしていたわたしの気持ちをほぐそうとして、手を変え品を変え、予期せぬ出来事を企てては、わたしの心に明かりを灯してくれたのだった。暗い夜道をぴかぴか照らす、真っ赤な鼻のトナカイみたいに。

 道の真ん中に突っ立ったまま、行く手を眺める。蒼白い街灯に照らされた彼の黒いコートが白茶けて見える。仕立ての良いカシミアのコート。
 でも、それが何だって言うんだろう。

 わたしが立ち止まったことに気づきもせずに、ただ前を見て歩いていく。カツカツと規則正しい靴音が、少しずつ遠ざかる。背中から吹いてきた北風に道端の落葉が舞いあがり、こそこそと遠慮がちな音をたてて、駆けていく。彼に追いすがろうとでもするように。

 コートのポケットに両手を突っ込んで、右足を一歩退き、回れ右をした。くるりと回ったところで、正面を見据え、一歩踏みだす。風に向かって足を踏ん張り、歩きはじめる。ブーツの底でアスファルトを踏みしめながら、歩いていく。
 いち、に、いち、に。
 リズムをとって歩いていくうちに、いつのまにか唄っていた。ベタなクリスマスソングを、すきま風みたいな細い声で。

 そのか細い声が、情けなかった。なんだか悔しくて、唇を噛む。
 ふん、誰に遠慮がいるものか。
 息を大きく吸い込んで、唄いだす。
 大声で唄いながら、ずんずん歩く。

 と、向こうから、作業服のようなジャンパーをを着たおじさんが、
丸いお腹を突き出しながら、千鳥足でやってきた。
 構わずに、唄う。声を張りあげる。
 へらへらと笑いながら近づいてくるおじさんに怖じ気づくことなく、なおも唄う。

 もう少しですれ違うという、まさにその時。
 おじさんが、片手を高く掲げて、ふいに叫んだ。
 夜空まで届くような大きな声で。

「メリィ・クリッスマス!!」

 一瞬、足をとめて、おじさんを見た。
 が、おじさんはまるで夢の中を漂うかのように、そのままふらふらと行き過ぎていく。
 擦れ違いざまに見たその顔が、あまりにも幸せそうで、その丸い鼻がやけに赤くて、わたしは思わず吹きだした。吹きだしたとたん、涙が落ちた。笑いと共に、ぽろぽろこぼれる。

 涙をそのままに、唄いながら歩きだす。
 こみあげてくる熱い塊が喉をふさぎ、唄う声がひび割れる。
 濡れた声が北風に負けそうになったそのとき、遠ざかっていくおじさんの野太い声が、夜道に響いた。

 まっかなおっはなっの とぉなかいさんわぁ

 草太と良い勝負の、音痴だった。



 


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