授業ナッジ(自由進度)への不安を考える【行動経済学×学校教育】
授業ナッジへの不安
授業ナッジは「1つの観と5つの手立て」で構成されます。
基本的に、勉強を強いることはありません。
ナッジは、個人の行動・選択の自由を阻害せず、かつ「より良い結果」に導く考え(リバタリアンパターナリズム)のもとに活用されます。
という不安の声が聞こえてくるかと思います。そうじナッジやあいさつナッジとは異なり、「失敗にも価値がある」などと悠長なことは言ってられませんね。自由進度学習でも、よく似た不安の声を聞くことがあります。
目の前の1問を捨てる覚悟
私がいた児童自立支援施設に併設された学校では、学習に遅れのある子が多くいました。どんなに面白い授業をつくっても、どんなに暖かい声をかけても「教師が頑張って学びに向かわせている状態」から脱却することは困難でした。問題を理解させようと、必死にアプローチすればするほど、子どもは「自ら学ぶ」ことから遠ざかっていきました。
料理でその気持ちを例えてみます。
ついつい美味しい料理が作れるようにと、大人は横から口出しをします。これは学習も同じです。
授業ナッジは極端に言えば、
その理解させようとした目の前の1問を捨てることから始まります。
解けなかった問題など、本人が「やる気」になってしまえば、後からいくらでも取り戻せますし、その姿を何人も見続けてきました。
こんなにも簡単なことに、気がつきませんでした。もう一度言います。
「やる気」にさえなってしまえば、目の前の損失は後からいくらでも取り戻せます。
私たち教師も同じではないでしょうか?
押し付けられた研究課題をこなしている時よりも、自ら学びを得ようとしている時の方が、質は高いのではないでしょうか?
そうじナッジ↓(これで掃除指導の悩みから救われました)
あいさつナッジ↓(ナッジの中で一番簡単かつ楽しいです)
サポートナッジ↓(課題のある子が自ら変わる、画期的なナッジです)