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”クラウドワーカー”に救われた/膠原病と共に生きる決意

noteへの初めての投稿です。自分のここまでの人生の振り返りとして、いつか自伝を書いてみたいと思っていました。私がクラウドワーカーという働き方を選んだ理由や、持病のことをストーリー仕立てで書いてみようと思います。

なぜ今クラウドワーカーをしているのか?

ここまでいくつもの寄り道や挫折をくりかえし、やっとたどり着いたのが「クラウドワーカー」の道だった。
この働き方が、持病がきっかけで人生を諦めかけていた日々を蘇らせてくれた。まだ生きていて良いのだと思えるようになり、私は救われた。

ー 目次 ー
・「楽しい」が最優先だった若かりし頃
・結婚と退職
・出産後の再就職
・持病の発症と諦め
・「クラウドワーカー」として再出発
・膠原病と向き合う覚悟

◆「楽しい」が最優先だった若かりし頃

以前、私は仕事と趣味のフラメンコに明け暮れ、多忙ながらも楽しく充実した日々を送っていた。

仕事は大手電子部品メーカーの営業として、営業車で関東全域を走り回ったり、突然遠方へ出張したりと、全力で仕事をこなしていた。それでも、顧客から「ありがとう!」「助かった!」と喜んでいただくことが何よりもうれしく、顧客の役に立ちたいという一心で頑張り続けていた。そんな頑張りも会社から評価され、社長賞をとったこともあった。

定時退社日や週末は、フラメンコのレッスンに通ったり、レンタルスタジオで自主練したりと、空き時間がないほど踊り一色だった。残った時間は遊んだり飲んだりで、もちろん体を休める暇なんてなかった。

でも、あの頃は楽しくてしょうがなかった。
人生がうまくいっているのだと思っていたし、体が壊れるなんて全く想像もできなかった。
それが「若さ」だったのかな。

◆結婚と退職

30代半ばになってようやく結婚。
仕事や趣味への影響を恐れて、ずっと避けていた結婚だったが、母を安心させたいという気持ちから、思いきって結婚に踏み切ることにした。
もちろん、結婚しても仕事は一生続けていくのが当たり前だと、その時は思っていた。

ところが、結婚から間もなく、ドクターストップにより仕事継続NGと宣告されてしまう。
数年前から患っていた睡眠障害が、薬も効かないほどに悪化しすぎてしまったのだ。医者から「体を休める時間をちゃんと作りなさい」と再三にわたり注意されていたのに、寝る間も惜しんで仕事や趣味をやりすぎてしまった。

会社からの指示により、しばらく休職することになった。その後は自宅療養を続けたが、数カ月たっても体は一向に良くなる気配すらなかった。

そんな時、ちょうど子供を授かったこともあり、退職を決意。

◆出産後の再就職

退職・出産を経て、慣れない専業主婦として家に閉じこもる毎日。
子育てはとても大変だったが、その大変さを忘れてしまうくらい子供が愛しくてたまらなかった。だから、最初のうちは「この子さえいてくれれば私の人生それでいい」と思い込み、幸せな気持ちで満たされていた。

でも、それが「思い込み」だったのだと、年月を重ねるうちに徐々に感じるようになる。

子供がもうすぐ2歳になろうとする頃。
周りにいた休職中のママ友たちが、次々と復職を始めていたのを羨ましく思ってみていた。私の中で、「私には戻る場所がない」「社会との繋がりなんてもうない」と、どんどん卑屈になっていった。

と、そんなある日、近所で営業事務の募集を見つけ、それに飛びついた。
事務職は初めてだったが、久しぶりの仕事で毎日ウキウキしていた。
子供を保育園に預けて働いていたため、最初は「残業ナシ」の条件でスタートしたが、いつしか保育園のお迎えは閉園ギリギリが当たり前となっていた。勤務条件なんて、あってないようなものだった。

再就職してから数年がたった頃、会社が海外にむけて事業を広げていくことになった。海外留学の経験があるということで、その新部署で海外顧客相手の営業業務を担当することになり、多忙だった仕事がさらなる激務になっていった。
でも、私はやはり顧客からの「Thank you!」という言葉が何よりもうれしく、週末も仕事を家に持ち帰ってまで働いた。

そう。
私はまたやってしまったのだ。
体の悲鳴が聞こえていなかった。

◆持病の発症と諦め

子供が小学校にあがり、まだ初々しさも残る秋。
突然私の人生が崩れた。
よく「ガラガラと音をたてて崩れた」という言い回しがあるが、まさしくその音が聞こえた。

夏あたりから体調が悪い日が続いていた。吐き気やめまいが常にまとわりついてくる。ベッドに横になっても気持ちが悪いし目が回る。それでも仕事は休めず働き続けていた。

ある日、私は職場で倒れた。

それからしばらく休みをとって自宅静養していたが、体調は悪化していった。小さな会社にこれ以上迷惑をかけられないと思い、やむなく退職を選択。

体がどんどんおかしくなる。体中が水風船に覆われたように、触るとプニョプニョしている。指でおすと、ひどいところは指の第一関節まで沈み込む。首を絞められているように呼吸がしづらい。足先は風船のように膨らみ、靴は履けなくなっていた。

それからいくつかの病院を経由し、最終的に膠原病の一種「全身性エリテマトーデス」と診断された。これは指定難病の一つで、しかもかなりの重症だった。

即入院となり、自力歩行も禁止された。
小1の子供にとっても、トラウマになるほど相当なショックだったようだ。

2カ月の入院が終わり、自宅療養が始まった。1度目の自宅療養とは違い、足も腕も思うように動かない。
病気になって、仕事を失っただけでなく、大好きだった趣味まで奪われた。治療薬の副作用で骨がもろくなるため、フラメンコのように骨に振動が激しく伝わるような運動は生涯NGになった。
絶望的な感覚から脱けだせず、精神的にまいっていた。
今回はさすがに生きているのがしんどいくらい辛かった。

「また社会から離れちゃった。でも、もう無理。」

自分の人生に希望がもてなくなり、エンディングノートについてネットで調べたことがあるというのは、嘘のような本当の話。

◆「クラウドワーカー」として再出発

それでも、気持ちのどこかで「また仕事がしたい。社会と繋がりたい。」と常に思っていたが、「ま、私には無理だな。また迷惑かけちゃう。」と即座に気持ちを封印。すぐに体調が崩れる自分の体のせいで、身動きがとれずに悶々とした日々を過ごすしかなかった。

今年に入って新型コロナウィルスが流行りだし、これまで経験したことがない新たな日常を送ることになる。
子供は臨時休校、夫はテレワーク。
世の中も激変してしまった。

そんなある日、テレビで「コロナ禍の新しい働き方」として、クラウドワークスを取り上げている番組を見た。
「これだ!!これは私にピッタリだ!!」と電流が走ったかのような衝撃を受け、すぐさま行動に移した。

クラウドワークスについてネットで調べ、なんのためらいもなく即登録。

◆膠原病と向き合う覚悟

クラウドワークスへの登録がきっかけで、いろいろな素晴らしい変化が起きた。

「働くこと」を取り戻しただけでなく、この年齢・この体で、なんと将来を夢見ているのだ。そんな日がくるなんて、まったく想像したことがなかった。

さらに一番嬉しい変化が。
「なんで私が膠原病にならなきゃならないの!?」と、被害者意識でガチガチだったはずが、気付いたら「病気とうまく付き合いながら、末永くクラウドワーカーとして活躍できるようになりたい」と思えるようになっていた。
初めて病気と向き合う覚悟ができたのだ。

大げさに聞こえそうだけど、私はクラウドワーカーという働き方に救われた。感謝の気持ちしかない。これから仕事をしていくうえで、この気持ちを忘れずに、心をこめて取り組んでいこうと決意した。

今、毎日がとっても楽しく充実していて、生きていることを嬉しく感じている。

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