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ある少女の記憶

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祖母の戦争体験記です
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ある少女の記憶 ⑴

ある少女の記憶 ⑴

今から76年前、   

当時成人したばかりの21歳の少女は、   

挺身隊にて軍需工場での奉仕作業で、 
もう少しで、 
手榴弾の投げ方を教わるところだった。   

「私に投げられるのかしら。自信がない。もし間違えたらどうすれば…。」   

そんな不安を女子挺身隊の仲間とともに抱えて日々過ごしていた。   

そんな頃、 
日本は終戦を迎えた。   

長い長い悪夢が、表面的に幕を閉じた。

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ある少女の記憶 ⑵

大正13年7月18日、

少女は4人兄弟の長女として、
横浜で産まれた。

3人の弟のお姉ちゃん。

彼女の父親は、
それはそれは彼女を大事にし、
娘の行動、食べるものなどにも細かく気を使った。

お友達と同じように駄菓子が買いたいが、
父親に怒られる。

駄菓子はサッカリンが入っているし身体に悪いから食べてはダメだという父親の教え。

結局もらった十円

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ある少女の記憶 ⑶

今まであった見慣れた風景が、
何一つ形をとどめず、
辺りは赤い海のよう。

たった数分で、
甲府の市内は崩壊した。

彼女と家族は石和にいたため、
その身も家も被害に合わなかった。

しかし、彼女は、
甲府市内にある叔父のガラス工場と、
友達が心配で、
七夕の願い虚しい7月7日未明に、
市内を彷徨い歩いた。

7月7日の朝、
空襲警報は解除された。
のちにこの甲府空襲は、その日付か

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ある少女の記憶 ⑷

8月15日、終戦。  

彼女はその後、
陸軍写真班に所属していた男性に出会い、
結婚。
私の祖父である。  

その後男の子を出産。
わたしの父である。  

農家に嫁ぎ、
慣れない農作業に勤しみ、
二つのバケツを木の端に天秤のようにかけ、赤ちゃんをおんぶしながらひょいと水たまりを飛び越え水汲みに行く。  

慣れた足取りで。  

終戦から一年以上達、
見上げる空は、
あの日と同じように、

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