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お粥やの物語 第2章5-1 「突如、目の前に現れた少女はシンデレラのようです」

「いつまで、眠っているつもりなの」
頬を叩かれそうな語気の強さに、僕はパチリと瞼を開けた。
目の前に、再び少女と馬が現れた。
少女の頬ははち切れんばかりに膨らんでいる。馬の鼻息は荒くなるばかりだ。

頬を抓ってみると痛かった。力を二倍にすると、痛みは四倍になった。
先ほど公園で見た夢の続きではなく、現実らしい……。

それなら、眠っている間に、この場所へ運び込まれたと考えるしかない。
馬がいることから考えて、厩舎だろうか。確か、千葉県の船橋市に乗馬グラブがあったはずだ。駅前のロータリーで、ペガサスの絵が描いてある送迎用のバスを見た覚えがある。
お粥やから船橋までなら、車を走らせれば約三十分で到着できるだろう。

場所はその辺りだとして、わからないのは、誰が、どんな理由で、こんな大それたことをしたかだ。
ドッキリカメラかもしれない。いやいや、僕は芸能人ではない。そんな奇特な悪戯をする友人もいない。

それなら、僕は誘拐されたのか。
いま頃、富山の実家に身代金を要求する電話が掛かっているのだろうか……。

奥歯を強く噛み、僕は首を振った。
父親名義の実家の三十坪の土地は、一坪三十万円くらいで、その上に建っている築五十年の二階建ての木造家屋は資産価値ゼロ。
父親はすでに会社を定年退職し、夫婦二人で細々と暮らしている。
身代金狙いの誘拐には不向きな家なのは誰の目にも明らかだ。
僕だって、どんなに贔屓目に見ても、金がある人物には見えない。

不意に、お粥やの店主が提示した条件を思い出した。
その中の四番目の条件、自室いるときは、できるだけ内から扉に鍵をかけること。夜寝るときは順守すること、とあった。

部屋に入ってから、内から扉に鍵を掛けた記憶はない。
畳の上に倒れ込むと、そのまま寝込んでしまったのだ。
嫌な汗が、蟀谷を伝わって流れ落ちていく。

落ち着け、落ち着くんだ。
自分の置かれた状況を理解するには情報が少なすぎる。
いまは情報収集に努めるべきだ。結論を出すのはそれからでも遅くない。
僕は心臓の鼓動を聞きながら視線を走らせた。

扉の向こうに見える洋館は、どう見ても普段見慣れた建物ではない。
中世のヨーロッパに出て来くるような建物だ。

「どうしたのよ。体の具合でも悪いの」
少女は眉間に小さな皺を浮かべ、心配するような眼差しで僕を見つめている。
よく見れば、薄汚れた少女の顔は堀が深く、鼻が高い。外国人のような顔立ちだ。青い瞳も、金髪も本物かもしれない。

いずれにせよ、いまの状況はただ事ではない。
不意に一つの考えが急浮上した。
ここは、死後の世界ではないのか……。
そう考えれば、目を覚ましたら見知らぬ場所にいたことも、薄汚れた外国人らしき少女が目の前にいることも説明できる。

心身ともに疲れた僕の心臓が止まったとは考えられないか。過労死というやつだ。それとも、お粥やとの約束を守らなくて、何かに祟られたのか。
いずれにせよ、僕は死んだのかもしれない。

目から涙が溢れ出しきて、喉の奥から嗚咽が漏れる。
父さん、母さん、ごめんなさい。先立つ不孝をお許しください。いや、すでに死んでいるのだ。少しは、親孝行をしたかった。

「どうしたのよ」
少女は、僕にぐいっと顔を近づけてきた。
僕は顔を伏せ、手の甲で乱暴に涙を拭いた。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

きっと、少女は、僕を天国か、地獄へ連れて行く使者なのだろう。その行先を決めるのが少女の役目なら、できるだけ印象をよくして、天国へ連れて行ってもらわなくては困る。
僕は口角を不自然なほど高く持ち上げた。

「泣いていたと思ったら、薄気味悪い笑みを浮かべて……変な魔法使いね」
僕の半開きの口は動かない。完全に固まってしまった。
いま、何と言いました? 
魔法使いと聞こえたんですが……。

僕が尋ねると、少女はぞんざいな態度で少しだけ尖った顎を引いた。
「あなたは魔法使いなんでしょ。自分でそう言ったじゃない。いまさら違うと言われても困るんだけど」
「魔法使いって、あの魔法使いですか」
僕は、細い棒を振るう指揮者のように、右手をくるりと回して見せた。
「あのも、そのも、ないわよ。魔法使いは、魔法使いじゃない」
僕の質問も不明確だが、それに負けないくらい少女の答もピントがずれている。

しばしの押し問答の末に辿り着いた内容を記すとこうなる。
突然、現れた僕は「魔法使いです」と名乗り、少女に向かって「王宮で行われる舞踏会へ行けるようにしてあげましょう」と告げた。
少女が「証拠を見せてよ」と迫ると、僕は何やら怪しそうな呪文を唱えた。
そうすると、あら不思議。薄汚れていた少女の肌は白く輝き、髪は光を含んだ金髪に染まった。素足にはガラスの靴、ボロボロだった服は鮮やかなブルーのドレスに変わった。

ガラスの靴を履く、美少女と言えば……。

名前を尋ねると、少女は「シンデレラだと教えたじゃない」と面倒くさそうに唇を尖らせた。

シンデレラの話なら知っている。
継母と血の繋がらない二人の姉にこき使われ、いじめられていたシンデレラの前に魔法使いが現れ、呪文を唱えた。みすぼらしかったシンデレラは美しい姿になり、カボチャは馬車に、ネズミは馬の姿に変わった。小さな足にはガラスの靴を履いていた。
魔法使いは「魔法は十二時で解けてしまう」と伝え、シンデレラを舞踏会へと送り出す。
突如現れた美しいシンデレラの姿を目にして、王子は恋に落ちた。

しかし、楽しい時間は長くは続かなった。
十二時を告げる鐘に気づいたシンデレラは、王子の手を振り払って、王宮の階段を駆け下りた。そのとき、片方の靴が脱げたしまった。
王子はガラスの靴を手に町中を探し回り、シンデレラを見つけ出す。
そして二人は結ばれた、というハッピーエンドの物語だ。

ここは童話の世界なのか……。
それなら、僕は、まだ死んでいないとも考えられる。
僕はシンデレラの小さな素足をじっと見つめた。
冷え切った足は、白さを通り越して青みを帯びている。
足があるということは幽霊ではない……。
いや、それは日本の幽霊の特徴で、外国の幽霊に当てはまるかはわからない。
まして、童話の世界では、幽霊を判別する手掛かりになるとも思えない。

「どこを見ているのよ。本当にいやらしいんだから」
シンデレラが語気を強めた。
馬が、僕を威嚇するようにヒッヒィーンと大きく鳴いた。

第2章5-2へ続きます。


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