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お粥やの物語 第2章2-1 「店主のおすすめは、どう見ても、ただの梅粥です。僕は騙されたのでしょうか」
僕はもう一度お絞りで手を拭きながら店内を見渡した。
よく掃除が行き届いている。床にゴミは落ちていないし、テーブルは丁寧に磨き込んである。壁や天井にも、これといった汚れは見当たらない。
散らかり放題の僕の部屋とは大違いだ。
カウンターの向こうにある壁の端っこで、小さな張り紙が揺れている。
空気の流れは感じないが、耳を澄ますと換気扇の回る音が聞こえてきた。
二十センチ四方の白い紙に、品書きと同じ筆跡で、「貸し部屋あります」と書いてあった。
貸し部屋とは、その言葉のごとく、部屋を貸します、という意味だろう。
秋の日の図書館で、憧れの女子生徒に偶然出会った男子高校生のように、僕の心臓はドクンドクンと早鐘を打つように鳴り出した。
もしかしたら、これは稲荷神社の御利益だろうか。
いや、いくらなんでも早すぎるか。
それに、貸し部屋という言葉だけでは、住める部屋とは限らない。会議室や倉庫の可能性もあるだろう。
それに大切なことを忘れてはいけない。
たとえ住居だとしても、全財産が四万円に届かない僕が借りられるとは限らないのだ。
憧れの女子生徒が僕の前を素通りして、クラスの人気者の男子に駆け寄る光景を目にしたときのように、胸の高鳴りは一瞬で鎮まり、その替わりというように、冷たい汗が背筋を伝わってゆっくりと流れ落ちた。
それでもと、淡い期待を捨て切れないでいると、お盆を手にした店主が戻って来た。
「おまたせしました」
店主は、テーブルの上に、丼ぶりの載った盆をそっと下ろした。
大き目の丼ぶりは焦げ茶色をまぶしたような黒色で、その中で白いお粥が控え目に湯気を立てている。その手前に、箸とレンゲが添えてあった。
お粥はかなりの量に見えるが、騙されてはいけない。
期待しすぎて、がっかりしたことなら、いままでの人生で数えきれないほどある。
お粥はお粥でしかないのだ。炊き立てのご飯に換算したら、せいぜい大盛りのお茶碗一杯といったところだろう。かなりの部分は水が占めている。
訪問販売の詐欺師に対峙する心境で、僕はお粥を見据えた。
丼ぶりの隣にある小皿の上で、三つの梅干しが仲良く並んでいる。
大きさは祖母の特製梅干しの二分の一程度。そんなことに勝ち負けはないはずなのに、なぜか頭の奥に、祖母がガッツポーズをする姿が浮かんだ。
のんびりした性格の祖父と違い、祖母は何事にも勝ち負けにこだわる人だった。その血は相当薄くなったとは言え、僕の中にも流れているはずだ。
僕も、ここぞというときには意地になる。
店主は戻る様子もなく、目許に笑みを浮かべながら、じっと僕の様子を見守っている。
あれ……もう一品付かないんですか。
僕は心の中で叫んだ。
これって梅粥ですよね。
もしかしたら注文を間違えて口にしたのだろうか。いやいや、店主のおすすめ、と間違いなく伝えたはずだ。
それなら店主が聞き間違えたのだろうか。
髪に白い物が目立ち始めた男性とは言え、受け答えはしっかりしているし、動作も機敏だった。三品しかないのに、間違えたとも思えない……。
ふと、一つの考えが脳裏を過った。
もしかして、梅干しが三つあるのが、「おすすめ」なのか。
一個で普通の梅粥、三個に増えるとおすすめ。マジかよ……。
それが本当なら、詐欺ですよね。
僕の頬が強張ったことに気づかないのか、それとも気づかない振りをしているのか、店主は笑みを崩さない。立ち去ろうともしない。
どうやら、僕がお粥に口を付けるのを見届けるまで動くつもりはないらしい。
「どうぞ、温かいうちに召し上がってください」
店主の自信に満ちた声に揺らぎはない。
そうか、そうだったのか。
僕は猛然と反省した。
白いお粥の下に、何かが隠れているのだ。
それなら、そう言ってくれればいいのに。ご主人も人が悪いんだから。
客が驚く顔が見たいんですね。
わかりました。ナイスなリアクションをしてみせましょう。
僕は店主に力強く頷き返し、ゴクリと唾を呑み込んでから、レンゲを手に取った。
第2章2-2に続きます。