「大学とは何か」をシリーズ化する試み#0 学歴コンプレックスの破壊と再考
見る目薬です。大学職員が「大学とは何か」という壮大で不思議な問いをnoteでシリーズ化する試みです。今回は#0。
まどろっこしい言い方ですが、まず「大学とは何か」が何を指している問いで、なぜ必要とされているのかについて経験ベースで説明してみたいと思います。
このあと自分語りが続くので、この記事を読まない忙しい人のために最終的なオチをここに置いておきます(よかったら読んでね)。どうぞ。
「大学とは何か」は、大学の歴史や大学論から大学の性質を探り、
これからの大学を継続的に再定義する問いです。
この問いは私が大学に興味を持つようになったルーツであり爆心地です。大学論等の専門性は一旦横に置いて、私の経験をもとに話を進めたいと思います。
いま大学職員である私はかつて超が付くほど学歴コンプレックスの持ち主でした。柄が無いナイフだと思ってください。
尖り散らかしていた大学生活
志望する大学に落ちて、とある私立大学に進学。偏差値はお世辞にも高くありません。「周りはバカばっかだな」と思っていました。私は研究者になるために大学に進学したので、周りのバカとはレベルが違うんだ、俺には崇高な使命がある。こんな低偏差値大学に自分を規定されてたまるか!と思っていました。いま土下座しながら文字を打っています。
在学中は自分なりに頑張って勉強しました。学内外にコネを作って色んな経験にチャレンジしました。しかし全く成功しませんでした。頑張って勉強した知識は身につかず、チャレンジは失敗・自然消滅の一途をたどる。理由はたくさん。何より根本的な原因は結局レッテルを気にして周りを見下していた自分が一番バカだったということです。自分に貼られた拭えないレッテル・外的評価を磨く努力を怠った。環境を盾に反省しなかった。
大学3年生の春、ようやくそのことに気づきました。
そして反省を込めて「自分を変えるために読書をしよう」と思い立ちます。ここでまず手に取った本が大学に関する本でした。新書の、『文系学部解体』だったと記憶しています。
大学の魔力
失敗の原因は分かった。でも学歴コンプレックスの対象、学歴そのもの、大学そのものについて、私は見ようともしていなかった。大学は高校卒業後に行く学校の一つ。なぜみんなが偏差値の良い学校に進学するためにムキになって、なぜ進学できなかったら劣等感を抱くのか。同じ学校、大学なのに。
社会を、世界を知る前の高校生が大学入試に打ち込むあまり、世界を大学入試に還元してしまう。大学入試が全てだと思い込む錯覚。その現象は想像に難くない。でも考えれば考えるほど、自分が当然のように抱いていたコンプレックスの対象、大学に対する羨望の眼差しが、おかしく思えてきました。まるで大学が若者の醜い本性を社会に引きずり下ろすかのように。
なぜ私は大学に固執していたのか。
この根深い魔力の正体を突き止めたいと思いました。
だから自然と、大学を論じる新書に手が伸びた。
『大学とは何か』という本
最初はジャンルを問わず色んな本を読んでいましたが、
ついに運命的な出会いを迎えます。
吉見俊哉先生の『大学とは何か』に出会いました。
2011年出版。知る人ぞ必ず知る名著です。
いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治に本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。
大学の理念の再定義を試みる画期的論考。
この本が私の爆心地です。
大学職員としての生き方に多大な影響を与えました。
この本で数えきれないほど多くの知見と基本的理解を得ました。
大学は人類の普遍的価値を追求するメディアであり、今もなお定義の荒波に晒されている。
近代的国民国家に従属する大学の先、
ポスト国民国家の大学像が求められ続けているのです。
大学の魔力の正体はいまだはっきりしていません。
ただ大学の歴史を概観して、「大学が理念として持っている信念」を垣間見ました。大学が時代や社会に揉まれて今に至ってもなお保持しようと志向する信念。この執念とでも言うべき大学の本質と可能性に触れることができました。
結果、私は大学に在学している事実に誇りを持てるようになったのです。今となっては、その大学を卒業した矜持を強く持っています。大学は学問を基盤として学問を一心に推進する機関。私にとってそれは守る価値がある機関であり、理念です。
一方で、「今後の大学を考える努力を放棄すれば大学が必要とされない時代が来る」と確信しました。時代と社会にさらされる中で、制度としての大学が残っても理念の形骸化は避けられない。学歴というシステムに目を向ける必要が出た。学歴コンプレックスは遠い場所に置いて、未来の大学を考える。
要するに、「大学とは何か」とは何か
退屈な自分語りにお付き合いいただきありがとうございました。本当に。
上記の経験をもとに簡単にまとめます。
私にとって「大学とは何か」は、大学の歴史や大学論から大学の性質を探り、これからの大学を継続的に再定義する問いです。
そのモチベーションはかつて私が抱いていた学歴コンプレックス、高卒ほやほやの学生たちを精神的に縛る呪い、に遡ります。その正体を大学の本質に問うたところ、どうも大学の定義はただ1つに定まらないことを知る。
大学の定義は、大学の理念・信念と、大学が生きる時代と社会から受ける影響とのブレンドなんです。ブレンドでろ過されてなお守るべき大学的理念と革新すべき部分があると考えています。その実装のために、私は「大学とは何か」を問い続けたい。
最後に
「大学とは何か」をシリーズ化する試みは、
常に変わりゆく大学の定義を追い求める旅にしたい。
その問いへの多様な答えの上に、私たちができることを実装したい。
最後まで見ていただきありがとうございました!
私が考えや価値観の垂れ流しになり、
かつディティールや背景描写を我慢して書いたので
とりとめのない雰囲気になってしまいました。
次回は#1、フンボルト理念について分かりやすく紹介する予定です。
よかったら読んでみてください。