分解の哲学~AIという分解者
二分法ではうまく物事を表現できないことが多い。だけど、世の中には二分法で理解しようとすることは多い。きっとそのほうが簡単だからだろう。好きか嫌いか、幸せか不幸せか、持てるものか持たざるものかといったように。
二分法で理解するとき、それは同じことを言っていることも多い。どう生きるのかという問いと、どう死ぬかという問いは同じことを言っている。見る角度が違うだけである。
食と農の思想史を研究する藤原辰史さんの『分解の哲学』という本を読んだ。この本では、社会構造を「生産者」と「消費者」という二分法で語ることへのおかしさを指摘する。そこには「分解者」という第三者が欠けているという。
生産者によって作られたモノやサービスは、消費者によって消費されるが、消費されたものが再び生産者に届く過程には、「分解者による分解」が必要とされる。それがリサイクルと呼ばれるプロセスである。言われてみればその通りなのであるが、あたかもそんなものは存在していなかったような認識がされている。
「生産者」「消費者」「分解者」の三者が揃ってはじめて循環し、バランスする。三権分立では権力が一箇所に集中しない仕組みとして「司法」「立法」「行政」の三者を必要とする。最近、贈与論の話が賑わっているが、マルセル・モースは贈与とは「与える」「受け取る」「お返しする」の3つがぐるぐる回っているうちに富が増えるという。
今年3月に東工大で開催された「利他学会議」というオンラインカンファレンスで、日本人は「受け取る」という行為がとても苦手であるというウェブ調査結果が公表されていた。「与える」という気持ちがあっても、「受け取る」という気持ちが弱くなると循環がとまってしまうという。利他とは「与えること」と同時に「受け取ること」も大事で、一方的に「与える」だけでは利他は成立しないという話にはハッとさせられた。
言語学者の大野晋によると、「とく(解く・溶く・融く・説く)」には、固まりを流動化させる意味があり、「とき(時)」の語もここから派生したという。
だとすると、分析者、あるいはAI(人工知能)は、社会において分解者になるのではないかと思う。特に、ディープラーニングでは、多層にすることで、現実の世界を個々の要素に分解し、もつれを解く技術であるからだ。
人間の脳は階層構造になっており、それをヒントにしたのが多層パーセプトロンのロジックである。そう考えると、人間の脳も分解者的な動きをしているともいえる。
人工知能が急激に発展したのも、インターネット上に大量の情報(Information)が誕生したからというのも大きい。インターネット上にある情報(Information)を分解して、意味のある情報(Intelligence)に変換する人工知能(Artificial Intelligence)。
分解者に着目することは、人工知能のみならず、地球環境といったことなども含め、これからの時代を生き延びるヒントがたくさんありそうだ。もう少し分解を巡る思考を発酵させてみたい。
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