目を閉じて心をしずめる②
友達の訃報を知ったのはずいぶん経ってからのこと。胸を締め付けられる思いがした。軽く「またね」なんて書かなければよかったと思った。もっと丁寧に返信すればよかったと思った。それより、なんで配信を止めてしまったんだろうと悔いる気持ちが強かった。
届いた最後のメッセージを読み返すと、言葉ひとつひとつ心を込めて選びながら送ってくれたんだと感じた。メッセージの最後には、きちんと名前が記されていた。きっとこれが最後だと知っていたんだ。そんな繊細なメッセージであることを、私は気づくことが出来なかったのだと思うと、自分自身が不甲斐なくて仕方がなかった。
彼女はどんな時も大輪の花のような笑顔で人と関わっていて、その表情と佇まいは清らかで美しかった。こんなに心の綺麗なひとっているんだな、誰しもがそう感じていたんじゃないかと思ってる。だから、彼女には私の朝の配信なんて必要ないんじゃないか?という気もした。でもそれは、私の思い過ごしだったみたい。
『伝えてくれることを、繰り返し繰り返し見て、私の前に進むチカラにしている』
死と隣り合わせで若いうちから生きてきた友達が感じていた不安や恐れ。言葉にならないような気持ちを、私が慮ることは出来ない。だけど、私が伝えていたことが、ほんの少しでもチカラになっていたことが嬉しかった。
私、友達からのメッセージを受け取っても、朝の配信を再開する気持ちにはならなかったんだ。なぜか?理由は単純。単刀直入に言うと「お金がかかるから」。私が使っていたプランは1ヶ月5500円(税込)。収入が下がってしまったことにより、この金額を支払って配信を続けることがしんどかった。
あーーー、こういうことも正直に書いてしまうのは本当に恥ずかしい!だって、たとえ現実的なこととはいえケチな人とか、お金お金の人とか、なんかそういう類の人間だって思われるのが嫌なんだもの。(そういう類の人間って・・・)けど、私ってそういう類の人間なんだから仕方ないんだけどね。
去年は特に「経済的な問題」の悩みが大きかった。コロナのこともあって、理由は多岐に渡るとしても多くの人が同じだったのでは?
さて、ようやく話を(本当に)朝活にもどす。朝活ドキュメンタリーを始めてから、朝は必ず瞑想をしている。(これまでは、1日のどこかで行っていた)静かに、リラックスして深呼吸を繰り返す。自分の呼吸に意識を向けて、吐いて吸って・・・と。
自分が何を感じているのか?心地よさを感じていくこと。たったこれだけのことを、たった数日続けただけだけど、この数ヶ月忙しく動いていた頭の中がクリーンになっていくのが分かった。
こんまりちゃんこと近藤麻理恵さんが、著書「人生が片付くときめきの魔法」の中で「ひとつひとつときめいているかどうかを感じる」と書いていた(はず)。これって、頭の中も一緒だと思うんだ。だけど、頭の中って物と同じようには片付けられない。だって、頭の中には「手にとって眺められる物」がないから。
だけど、私、瞑想でこれは可能なんだって分かった!これ腑に落ちた!
朝の瞑想。私の場合、ほんの10分程度だけど、それでも静かに心と頭を緩ませると自分の「感覚」が浮き立ってきた。好きだったのに忘れていたこと、好きだった・したいと思っていたのに押し殺していた気持ちが浮かび上がってきた。それが「文章を書く」ということだったのです。
そして、発信を止めるとますます行き詰まってしまう自分の性質とか、「止めてしまう」ことの裏にある弊害にも気づくようになった。さて、ここで「止めてしまうこと」を抽象度を上げて考えてみる。今回の話の中では「朝の配信を止める」が出てくるのだけど、それに関して私が止めたことは「お金を払う」ということ。ラインアット配信に対しての支払い。
これ、どちらも「エネルギー」。私は、エネルギーの流れを止めた、ということになる。
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