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「愛」ってなんだ?

今朝、瞑想後にふと浮かんだことがあったので、そのことについて書いてみようと思う。

と、その前に・・。

私のことをご存知の方は、今からする話がだいたい「いつ、どこで」起きていたことなのか、想像することが出来るかも。

このことを、詳しく書いてしまうと差し障りもあるので、やんわりとオブラートと共に伝えようと思います。


「誰もが羨ましいと思う世界にいるのに・・」


数年前、私は「愛ある世界」にいた。
そこは「誰もが羨ましいと思う世界」だったらしい。

(と、みんな口々に言う割に「行こう」としなかったのはなぜ?←「行きたくなんかなかったからやろっ!!!偉そうに言うな」という、当時言えなかった私の心の声なり)

「愛ある世界」「羨ましい世界」にいたのだが、その「愛」と呼ばれていた概念が理解し難いものだったので、私は・・壊れた。

私のことを、周りのひとたちは「愛がわからないなんて」と批判。朝起きてSNSグループを見たら、私に対し「ひどすぎる」という否定的コメントがどっさり書き込まれていて・・。

もともと自己否定が強い私は「ああ、なんてダメなんだ」「私は愛がわからない」「この方たちの愛がわからないなんて・・」と自分を責めた。

だから私は頑張った。頑張って「理解されよう」「認めてもらおう」「愛を感じられる私になろう」とした。

が、頑張れば頑張るほど、私の行動は裏目に出て。当時40代後半だった私は、さらにディスられる対象になってしまった。

あのとき、どうすれば良いのかなんて分からなかった。聞けば怒られる。怒られる、っていうもんじゃないな。罵倒、無視・・・。

でも、それが「私のための愛情なんですよね・・」と受け取らなければならない、という10ヶ月だった。

=====

と、まあ、なんという昭和なドラマか愛憎劇の韓流ドラマか・・の中にいたわけ。あ、これはドラマじゃなく、ノンフィクション。

そんな闇の世界から、どのように抜け出したのかについては、また気が向いたときに書くことにしよう。(断っておくけど、反社会の世界ではないよ)

今日は、そういう話じゃなくて・・・
今朝、ふと思ったことはそんなことじゃなくて・・・。


愛って?


じゃあ「愛ってなに?」と聞かれたら、私はその明確な答えが分からない。50代半ばになっても、その明確な意味が分からない。

wiki先生によると

親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり
男女間の愛情。恋愛。

大切にすること。かわいがること。めでること

キリスト教:神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。(隣人愛)

仏教:渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる

wikipedia

これを読んでも「ふーん。で?愛ってなに?」って思っていた。


分からないなんて、当たり前だよ


今朝、瞑想をした。
インスタで瞑想の配信が行われていたので、それに参加した。

瞑想のあと、インスタライブをしていた人が「愛って・・」ということを話したとたん、急に「バチっ」と感じたこと。それは・・。


「愛が分からない、なんて当たり前!
すべてがすでに「完全なる愛」なのだから、分からないのは当たり前!」

つまり「自分の顔が自分には見えないのと同じ」なのだということ。

だから、分からなくてもいい。分かる必要なんてない!


深い。
シンプル。

だけど、なんかすごくスッキリして、そして「そうなのか」と腑に落ちた。

そうか、だから、愛を受け取る必要もなく、愛を探したり、感じたりする必要もないってことなんだな。

とはいえ、まだまだ探そうとしたり、感じようとしたり、求めてもしまうと思う。けど、それでもいいんだな。

なんかこの世は、かなりシンプルでお気楽に出来ていそうだな、と思った今日の始まりだった。


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