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不思議な体験・瞑想12日目
帰宅後、瞑想をするにも「面倒だな」という気持ち。でも、そんな気持ちをエイっとはねのけるように起き上がり(帰ってきたらベッドに横になってしまうので・・笑)眼を閉じる。
こんな毎日も12日目になった。一区切りの14日まであと少し!
さて、昨日の朝。ちょっと不思議なことがあった。(瞑想11日目)
いつもは、朝起きて、歯を磨いたり、水を飲んだりしてから瞑想をしている。でも、昨日は目覚めてiphoneを開いてインスタを見ていたら、ある方の面白そうな瞑想が紹介されていたので、それを寝たまま行ってみた。
それは「感謝の先取り瞑想」というもので、今日1日に出会うであろう人、行く場所などを思い浮かべながら感謝の気持ちを感じるという瞑想。
インスタから流れてくる柔らかく優しい声にウトウトと。また夢の中へ戻りそうになった。
それでも意識は「こちら」にしっかり留まったまま。あちらとこちらをウロウロしつつ瞑想をしていた。
そうしたら、何かグルグルとした振動のようなものが!!!
それは、とても細かい振動でグルグルというか波というか「あ、これが感謝のエネルギーなんだな」と。
そのエネルギーは、明らかに他のエネルギーとは違う感じで、これが感謝のエネルギーなんだと感じながら「感謝のエネルギーにしかこの細かい振動は存在しないのだな」と思っていた。
実際には、他の感情もエネルギーである以上、細かい振動はあるのだと思う。でも、その種類が「感謝」だけは別物だと思った。
不思議な体験って、これだけなのだけど、すごく印象深かったので。
感謝のエネルギーが、一番波動が高いと言われている。でも、私はその感謝がなかなか出来ずにいた。
「感謝が足りない」と言われても、「そうですね、確かに。分かっています。感謝しないといけませんね」と心で思いつつ「でも、感謝ってどうするものなの?」といつもいつも思っていた。
「ありがとう」をブツブツつぶやいていたこともあったな(笑)。だけど、口先だけの「ありがとう」は、感謝のエネルギーとは別物だった。自分でも感じていた。
だから「感謝が足りない」なんて言われるんだ。
でもさ「感謝しなさい」って言われても、「はい!感謝します!ありがとうございます!」とはならないよね?
だって、そもそも感謝って強要されたり義務でするものではない。湧き上がるというか、込み上げてくる「ありがたいと感じる思い」なのだから。
では、なぜ私が「感謝ってなに?」という「いいオトナが何を言う」という気持ちになっていたのかというと、それは「ないもの」にしか意識がいかなかったからなんだ。
「ないないない、私にはなにもない」
「ないもの」を探し、「ないもの」を集めている私には「あるもの」が見えるわけがなかった。
「あるもの」それが感謝だ。
それで、しばらく前から「ある」に意識をシフトしていこうと意識の習慣を変え始めたら変わってきた。
「なんて私は恵まれているんだ」って、恥ずかしながら人生50を越えようとしているあたりから感じられるようになってきた。
ひとって変わるのだと思う。
それは、いつからだって可能なのだと思ってる。