絶望日記7 インスタで公開したワケは
この日記、というか記録。
こっそり、ひっそり書いていた。
だって、絶望感を持っていることなんて知られたくないやん?
それに、身近な友達にさえ、ここしばらくの気持ちの落ち込みについて話していなかったし。だから、ここでのことは「あまり触れられたくない、わたしの一部」のような雰囲気を出していた、と思う。
華やかな世界に憧れが強いわたし。なんでも分かっていて、出来るひとだと思われたいわたし。他のひととは少し違う特別感を纏っていたいわたし。
そんなわたしだから、もういつでも人生終わりにしてもいいと考えていたことを知られては困る。
ひとは、暗くて重いと嫌われるのだから。
そう、わたしには、この強い思い込みがある。子どもの頃から、母に言われていた。「あんたは暗い。そんなところがお母さんは嫌い!なんで、◯◯ちゃんみたいになれないの?」
明るくて朗らかで華やかな場所に行かなくては!明るく軽くあること、それがわたしに求められることだ!
が、しかし。
現実の自分と理想の乖離があまりにも大きく。その大きさが苦しい。
セラピーやヒーリングなどで、かなり楽になって、生きやすさを感じられるようにはなったものの「根本」にあるものは、何ら変わっていなかった。
そのことに気づいた。
でも、時間とお金をかけたけど、ダメだったやん。で、絶望した。
昨日の朝、目覚めたときにふと感じた。「中途半端でいいんじゃない?中途半端なまま真っ直ぐ進む」
その言葉は、すごく心地よかった。ホッとしたし、共感できた。
そして、note「絶望日記6」を書機終わったときに直感した。
これを友達に共有する!
「え?」
いや、無理無理無理!絶対ダメでしょ。さらに友達いなくなるでしょ。
そんな頭の声が響いたが、同時に「隠す必要もないな」という気持ちも感じ取れた。
その直感が意味するところは分からない。でも、もしかしたら、こんな絶望の記録を読み「このひとも同じなんだ」と密かに感じるひとがいるかもしれない。
それは、人数的には少数かもだけど、その少数派のお役に立てるなら、こんな嬉しいことはない。
実は、金曜日のこと、、、。
つづく