見出し画像

麻生太郎とは、「サーヒブ・キラーン(世界征服者)」の称号を持つ人物だったのか。

今回は「鹿児島」という県名における、「鹿(しか)の子」から考えていきたいと思います。

「鹿の子」が何を意味しているのか気になっていたところ、閃きを得たのがモンゴル神話の「白き鹿」です。

「蒼き狼」と「白き鹿」から生まれたのが「バタチカン」であり、モンゴル族の始祖であるという神話があるのです。

「はじめに上天よりの命によって生まれた蒼き狼がいた。その妻は白き鹿であった。夫婦はテンギス湖を渡って訪れ、オノン川の源流たるブルカン・カルドゥン山に居を構えた。そしてバタチカンが生まれた」

モンゴル神話

モンゴル族の起源神話。
 天の神の命を受けて生まれた青い狼がいた。その妻は美しい鹿であった。彼らはオノン川の源、ブルカン山に住み着いて、バタチカンを産んだ。このバタチカンがモンゴル族の始祖となった。

モンゴル族の起源神話


さらに、チュルク神話に登場する雌狼の10人の息子のうちの一人、「アセナ」から「アシナ族」が築かれ、この一族が突厥帝国の中核となったということです。

アセナ(Asena、アセナ)はテュルク神話に登場する雌、および、雌狼の生んだ10人の息子のうちの一人の名前。オオカミはテュルクの神話で重要な役割を果たし、現在もトルコではトルコ民族を象徴する存在とされている。

アセナの登場する神話には様々な形がある。ひとつは次のようなものである。テュルクの祖先は大きな戦いに敗れ、少年一人だけが生き残った。アセナという名の、空のように青いたてがみをしたメスのオオカミが傷ついた彼を助け傷をいやした。やがてオオカミと少年の間に10人の子供たちが生まれた。オオカミと人間の血をひく、アセナに率いられたこの子供たちがやがてアシナ氏族(阿史那氏)を築き、突厥帝国(Göktürk)の中核となったという。この神話はウイグル人の民話など、他のテュルク系民族の神話とも共通する。同様の神話は司馬遷の「史記」にも登場する。

アセナ - Wikipedia


「アシナ」とは「青」を意味すると考えられており、まさに「アシナ族」が「蒼き狼」であると考えられるのです。

葦名族
阿史那(中国語:阿史那、ピンイン:Āshǐnà、ワデ・ジャイルズ表記:A-shih-na、中世中国語:(広雲[ʔɑʃi̯ə˥nɑ˩])は、突厥系の部族であり、突厥の支配王朝であった。

カーター・V・フィンドレーは、「アシナ」という名前は中央アジアのサカ語の一つに由来し、「青」を意味する(これはテュルク祖語の* kȫkに翻訳され、そこから古テュルク語の𐰚𐰇𐰚 kökとなり、現代テュルク語のすべてで同様である)と仮定している。青色は東と同一視されるため、テュルク帝国の別名である突厥は「東のテュルク人」を意味した。一方、ピーター・ベンジャミン・ゴールデンは、突厥の意味をより限定して東テュルク人のみを指すと主張している。

Ashina tribe - Wikipedia

それでは、「白き鹿」とは誰でしょうか。

元々、シュメール語で【サング】とは僧をいみする言葉で、インド語では仏僧の集団を【サンガ】といい、これが日本で【鹿】【坂】となり、坂の者・サンカの語源となる。
【鹿】がサカ族の【サカ】からきた言葉であることは既に学界でも認められている。

スキタイ・サカ


「鹿」とは「サカ」であるとのことで、「白き鹿」とはサカ・スキタイの「サカ族」であると考えられます。

このことから「鹿の子」とは、「サカ族」の子孫であることが示されており、鹿児島(薩摩国)とは「サカ族」の国のことなのではないでしょうか。

「蒼き狼」と「白き鹿」から生まれたのが「バタチカン」であり、モンゴル族の始祖だということでした。

そうすると、チュルク族である「アシナ族」と、サカ・スキタイ(イラン系騎馬遊牧民族・アーリア人)の「サカ族」から生まれたのが、「モンゴル族」の「バタチカン」だということになります。

つまり、【チュルク族+アーリア人=モンゴル族】という仮説が成り立ちます。

「チュルク族」とは、聖書に登場する「ノア」の子「ヤフェト」の子孫であるとされています。

創生伝承
ウイグルの創生については、モンゴル帝国時代のペルシア語文献においていくつかの物語が記されている。アラー・ウッディーン・ジュヴァイニー世界征服者の歴史』(1260年編纂)とラシードゥッディーン集史』(1314年編纂完成)がある。

特に後者の『集史』ではテュルク・モンゴル系の諸部族をイスラーム的世界観の枠内で分類しており、これらを大洪水後に現在の人類の遠祖となったノア(ヌーフ)の3人の息子セムハムヤフェトのうちヤフェト(ヤーフィス)の子孫としている。

テュルク系種族をヤフェトの子孫とするのは『集史』以外にも見られるが、『集史』はこれにオグズ・カガン伝説も絡めて述べているのが特徴であり、後世にもこの傾向は受け継がれた。

ラシードゥッディーン集史』ウイグル部族誌 (1314)伝承:「ノアの子のアブルチャ・カン即ちヤフェトの子のディブ・バクイの子のカラ・カンの子のオグズ( اوغوز پسر قرا خان پسز ديب باقوى پسر يافِث پسر نوح عليه السّلام Ūghūz pisar-i Qarā-Khān pisar-i Dīp Bāqūy pisar-i Abūlja Khān Yāfith pisar-i Nūḥ `alaihi al-salam.)[38][39]は、唯一神(アッラー)のみを信じたので、叔父達や兄弟から攻撃を受けたが、彼はその親族の一部の援助を受けて打ち破り彼等の領地を併合した。

ウイグル - Wikipedia

それでは「アーリア人」とは、誰でしょうか。

RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。


「アーリア人」とは「秦氏」であることが、RAPT理論によって解明されています。

前回の記事では自論として、「秦氏」とは「反キリスト集団」だったのではないか、と考えました。

「ヤフェト」の子孫が「チュルク族」であり、”唯一神アッラー”のみを信じた、という伝承があることから、「チュルク族」も「反キリスト」であると言えます。

これらのことによって、【チュルク族+アーリア人=モンゴル族】という仮説に従うと、「モンゴル族」とは「最強の反キリスト集団」であることになります。

「蒼き狼(チュルク族)」と「白き鹿(アーリア人)」から生まれたのが「バタチカン」であり、「モンゴル族」の始祖であるということでした。

この「バタチカン」から思い起こされるのが「バチカン」です。「バチカン」は、「モンゴル族」と繋がりがあるのでしょうか。

バチカンはローマ教皇(聖座)によって統治される国家であり[4]カトリック教会東方典礼カトリック教会の中心地、いわば「総本山」である。

バチカン - Wikipedia

「バチカン」とは、キリスト教の「カトリック教会」の総本山であるとされています。

カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を最高指導者として全世界に13億人以上の信徒を有する[1]キリスト教最大の教派。その中心をローマ司教座聖座)に置くことから、ローマ教会ローマ・カトリック教会とも呼ばれる[2]

カトリック教会 - Wikipedia


カトリック教会とは「ローマ教会」とも呼ばれているとのことで、前回の記事では日本の京都にある「秦氏」の本拠地であった「太秦」が、「裏ローマ」なのではないか、と考えました。

「モンゴル族」の始祖「バタチカン」が「バチカン」と繋がっているとすると、「バチカン」とは【チュルク族+アーリア人=モンゴル族】と繋がっていると考えられ、「最強の反キリスト集団」であるということになります。

キリスト教が、悪魔崇拝者によって内部から破壊されてきたことについても、RAPT理論によって解明されています。


キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。


バチカンが既に「天皇派」に乗っ取られていたという現実。または広島と長崎に原爆が投下された理由。


ローマ法王フランシスコがバチカン祭司の「悪魔崇拝」を公に謝罪。世界にとって大きな前進です。


「バタチカン」を祖とするモンゴル族から思い起こされるのが、「チンギス・ハーン」です。

モンゴル部は当時台頭してきた満州民族金王朝やモンゴル高原東部のタタル部などと抗争を繰り返していた。しかし、その支流キヤト氏に生まれたテムジンによって統一され、彼は諸部族全体の主としてチンギス・ハーンと名乗り、東は日本海から西はポーランドに至る大帝国を築いた。その後の内陸アジア世界では、チンギス・ハーンの血縁者で無ければハーン(遊牧民族の長であるという称号)と名乗れないという慣習(チンギス統原理。ティムール朝創始者のティムールは血縁者ではなかった為、ハーンを生涯名乗らなかった。)が成立するようになった。それほどにチンギス・ハーンの権威と聖性が重んじられたのである(原山煌『モンゴルの神話・伝説』pp.45)。

モンゴル族の起源神話

「チンギス・ハーン」の血縁者でなければ、「ハーン(遊牧民族の長であるという称号)」を名乗ることができなかった、と言われています。

ここで思い起こされるのが、「ヤジロウ」が「八幡(バハン)」と呼ばれた海賊であったとされていることです。

ヤジロウが以前何をしていたのかは不明確であるが、フロイスの『日本史』では八幡(海賊)であったと書かれており[6]、海賊や貿易など海に関わる仕事だったと考えられている。

ヤジロウ - Wikipedia


「ヤジロウ」とは「八幡(バハン→バ・ハーン)」であるとすると、「チンギス・ハーン」の子孫だったのではないか、と考えられます。

この「ヤジロウ」の墓は「鹿児島県(鹿の子)」の下甑島にあると言われており、「ヤジロウ」とは「蒼き狼」と「白き鹿」の子であり、「バタチカン」の血を引いている「モンゴル族」である可能性が考えられるのです。

ここで、モンゴル帝国から「ティムール朝」への変遷を見てみます。

チンギスハンの事業を継承し、イスラム帝国の完成をめざしたとされるティムールが建てたティムール帝国

ティムール帝国(1370〜1507)は、1370年にティムール(位1370〜1405)が建国したトルコ=モンゴル系のイスラム国家で、中央アジアから西アジアに君臨しました。

ティムール帝国:中央アジアのトルコ・モンゴル帝国


モンゴル帝国の崩壊後、「ティムール」という人物が「イスラム国家」である「ティムール帝国」を築いた、ということです。

【チュルク族+アーリア人=モンゴル族】の国である「モンゴル帝国」が、「ティムール帝国」という「イスラム国家」へと変遷していったことになります。

この「ティムール王家」の旗が、こちらになります。

ティムール王家の旗


これは、見覚えのある形です。

前漢時代の楚王墓から出土した璧


上の写真は「碧(へき)」と呼ばれる、古代中国の漢王朝から周辺国の王侯などに下賜された威信財であり、祭祀用具でもあったと考えられています。

この「碧」が、宮崎県の串間市でも出土しているのです。

宮崎県串間市出土の玉璧
出典:https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-11985511032.html


宮崎県串間市出土の「玉璧」は、「隼人族」との関連が指摘されています。

「弥生の興亡」に従えば、この玉璧が日本で出土した理由をいともたやすく説明できるのである。前漢、武帝代の東越繇王・東城(東成)侯の子孫が王の山古墳被葬者の第一候補で、これは文・漢氏の祖先。隼人の祖先ということでもある。伝世されていたものが、その価値を評価されなくなり、古墳に埋納されるに至ったのだと思われる。(「弥生の興亡、「中国朝鮮史から見える日本」 「3、帰化人の真実」参照)

王の山古墳出土の玉璧とその由来


天孫降臨で有名な高千穂峰は、宮崎県と鹿児島県の県境に位置しており、「隼人族」の居住地域でした。

高千穂峰に天孫を道案内したと言われている「猿田彦神」も、同じく「隼人族」との関連が指摘されています。

古代筑紫国(福岡県)は猿田国と呼ばれていたという説もありますが、それ以前には九州全体が猿田国だったという説もあります。

先日紹介した鹿児島県霧島市の高千穂峰山頂に刺されている「天の逆鉾」にサルタヒコと思しき顔が付いているのは、その説を裏付けるものなのかもしれません。

そして高千穂峰の西に位置する阿多隼人の地こそ、最初にサルタヒコが九州に基地を構えた所なのではないでしょうか(参照

隼人紋と猿田彦


天照大神は、葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際に、建御雷神(たけみかづち)を派遣しました。

建御雷神は、剣を逆さに立て、その上にあぐらをかくという威圧的な態度で、大国主神に国譲りを迫りました。

そして高千穂峰山頂に刺されているという、その「天の逆鉾」に「猿田彦」と思われる顔が付されているというのです。


出典:天之逆鉾 | 高原町観光協会



宮崎県都城市、日南市、鹿児島県曽於市では、「隼人族」にまつわる「弥五郎どん祭り」が行われています。

出典:山之口弥五郎どん祭り(やごろうどんまつり)


宮崎県都城市山之口で行われる弥五郎どん祭りの「弥五郎どん」の姿は、「三叉の矛」が頭部から突き出ているように造形されており、高千穂峰の「天の逆鉾」に付された「猿田彦」を彷彿とさせられます。

山之口弥五郎どん祭り

竹で組んだ体に麻の衣をまとい、赤い面をつけた弥五郎どんが登場する「浜殿(はま)下り」が祭り一番のみどころ。

大きな目に大きな鼻、恐ろしげな表情をもつ赤い面をつけ、頭上には大きな鉾(ほこ)、麻の衣に大小の刀を差した姿が山之口の弥五郎どんです。弥五郎どんは隼人の首領だったと言われ、現在、南九州の3カ所で、大きな弥五郎どん人形が登場するまつりが続けてられています(都城市山之口町的野正八幡宮、日南市田之上八幡神社、鹿児島県曽於市岩川八幡神社)

養老4年(720年)、この地にいた隼人族が大和朝廷に反乱を起こし、押し寄せる政府軍と闘うも次々に城が落ち、犠牲者も弥五郎どんをはじめ1400名余にのぼりました。

大和朝廷はその霊を慰めるために、首領であった弥五郎どんの人形をつくり、全国で放生会(ほうじょうえ)を行ったのが、祭りの始まりといわれています。

山之口弥五郎どん祭り


「猿田彦神」と「弥五郎どん」は、ともに「天狗」のような風貌をしており、「隼人族」との繋がりが指摘されている点においても共通点があります。

「弥五郎どん」は巨人伝説とも結びついているため、ここから思い起こされるのが「ヤジロウ」です。

「ヤジロウ」は、「岩屋梓梁」という僧名を持っていました。

岩屋梓梁のプロフィール
弥次郎は明応6年(1497年~1556年)正月、薩摩国伊集院神殿に生まれ、俗称を橋口弥次郎左右衛門兼清、僧名を岩屋梓梁と言ったが
背丈十尺(約3メートル)容貌魁偉、頭上右?に 約3寸(約9センチ)の肉腫(角・ツノ・チョン)がおったっていたため、当時の民衆から「岩屋天狗」と異称された。
永正年代末期(1520年代)時の室町幕府を倒して 神仏習合、祭政一致の易断教団政府を樹立し、
古事記等多くの古典を書いて易断政治の思想的根拠を固め、
又、秀吉、家康等多くの英傑を子として残した。 

真光と岩屋梓梁研究顕彰 | むろまっち


「ヤジロウ」は身長が約3mもあり、頭に角(つの)のような肉腫があったため、「岩屋天狗」とも呼ばれていたということです。

この「ヤジロウ」も「弥五郎どん」と同じく「巨人」であり、「天狗」と呼ばれていたというのです。

となると、「ヤジロウ」は「隼人族」であったと考えられます。

そしてこの「隼人族」の伝承のある地で、「ティムール王家」の旗印に描かれている文様と同じ形状の「玉璧」が出土しているのです。

「隼人族」と「ティムール帝国」とは繋がっているのではないでしょうか。

モンゴル帝国の崩壊後、「ティムール」という人物が「イスラム国家」である「ティムール帝国」を築いた、ということでした。

「隼人族」と繋がると思われる「ヤジロウ」とは、「八幡(バハン→バ・ハーン)」であると考えられ、「チンギス・ハーン」の子孫だった可能性があります。

ここで、「モンゴル帝国」と「隼人族」と「ティムール帝国」が繋がりました。

モンゴル族の祖は「バタチカン」であり、キリスト教の「カトリック教会」の総本山である「バチカン」との繋がりが考えられました。

「カトリック教会」の男子修道会が「イエズス会」であり、「イエズス会」と言えば「フランシスコ・ザビエル」であり、「ヤジロウ」と繋がります。

「ティムール帝国」を建てたのは「隼人族」であると考えられ、「ティムール帝国」は「イスラム国家」でした。

「隼人族」と繋がると思われる「ヤジロウ」こと「岩屋梓梁」は、蜂子皇子とともに「アラブの血」を受け継いでいたと言われているのです。

蜂子皇子(はちこのみこ)と岩:屋:梓:梁に共通する事実は、どちらもアラブの血を受け継いでいたということでありますが、これは、迦楼羅(カルラ)神とも繋がるスサノオの使命的立場であったと推察することができます。

 近代歴史では、大本の出口聖師がその使命を継承し、天命未完成のままに、現代に引き継がれています。

 岩:屋:梓:梁は、蜂子皇子の使命を引き継いだ使命者でありますが、岩:屋:梓:梁が全国規模で展開した弥勒下生運動については、近代日本史から全て抹消された史実があり、歴史を封印するために長い年月に渡り鎖国をしてまでも歴史を改ざんし、隠蔽しなければならなかった幕府の意向が隠されています。

 岩:屋:梓:梁の子孫と言われた西郷隆盛は、岩:屋:梓:梁を心から敬愛した人物でありましたが、保存していた岩:屋:梓:梁の歴史的な記録は、明治政府時代に全て抹殺されたといわれています。     

http://www.wao.jpn.org/wao/message1202.shtml#m09 より引用

鎖国をしてまでも


この「アラブの血脈」とは「ティムール」の血脈のことであり、「ヤジロウ」や蜂子皇子(聖徳太子)らが「バタチカン」の系譜であることを示しているのかも知れません。

以前の記事で、「ヤジロウ」が「アラブの血脈」であるとともに「アレキサンダー大王」の系譜でもある可能性を考えましたが、今回分かったことから「アレキサンダー大王」とは「ティムール」という人物のことなのではないか、とも思えてきました。

ところで『ウィキペディア』によりますと、「チンギス・ハーン(クビライ)」の孫の「フビライハン」の諡号(死後に贈られる称号)が、「聖徳神功文武皇帝」であるというのです。

聖徳とは「聖徳太子(蜂子皇子)」であり「アラブの血脈」が表され、神功とは八幡神として祀られる応神天皇の母である「神功皇后」のことで、八幡(バ・ハーン)の「ヤジロウ」と繋がることが表されているのではないでしょうか。

これらのことから「モンゴル族」と「日本民族」とは、起源を一つとしている可能性が考えられます。

そして「隼人族」の本拠地である「鹿児島県(薩摩国)」は、「島津氏」の領地でもあり、薩摩統一を果たしたのが第15代当主の「島津貴久」だと言われています。

この「島津貴久」は、「ザビエル」と「ヤジロウ」とも面談しています。

1549年8月15日鹿児島に上陸したザビエルは、ひと月ほどたった9月29日、大天使聖ミカエルの祝日に、領主島津貴久と面談し宣教の許可を得ている。

最初に、ザビエルを鹿児島に案内したヤジロウが貴久に引見される。

ヤジロウは領主訪問に際して、聖母の聖画を持参したようである。領主も領主の母も非常に喜び感激し、その前にひざまずき拝礼したという。ザビエルの領主訪問は予期以上の成功を収めたようである。

ザビエルと島津貴久


「島津貴久」は「ザビエル」に宣教の許可を与え、「ヤジロウ」の持参した聖母の聖画を非常に喜び、拝礼したということです。

このことから「島津貴久」及び「島津氏」らは、”ザビエルの伝えたキリスト教”を信仰していた可能性が高いのではないでしょうか。

島津氏の家祖とされている「島津忠久」は、別名を「三郎」と言い、第15代当主の「島津貴久」も、別名を「又三郎・三郎左衛門尉」だと言うことが「ウィキペディア」に記載されています。島津忠久 - Wikipedia島津貴久 - Wikipedia(2025.1.7.現在)

以前の記事で、「三郎」とは「アレキサンダー大王」のことが表されているのではないかと考えましたが、今回この「三郎」とは「ティムール帝国」創始者である「ティムール」のことが表されているのではないか、とも考えられました。

そこで「アレキサンダー大王」と「ティムール」という二人の人物が、なぜ繋がっているように感じられたのか、その理由が分かる記述を発見したのです。

それは、「サーヒブ・キラーン」という称号です。

史家が著した年代記では、ティムールは「サーヒブ・キラーン(サーヒブ・ギラーン、Sahib Qiran、「幸運な二つの星が交わるとき生まれた支配者」[17]、「吉兆の合(吉兆の星である金星と木星が太陽と重なる天文現象)の支配者」[18]、「星座の支配者」[19])」の雅号で呼ばれている。その歴史家のうち、ヤズディー英語版)はティムールとともにアレクサンドロス3世を、ニザーム・アッディーン・シャーミー英語版)はチンギス・ハーンとティムールの孫ウマルを「サーヒブ・キラーン」として称している[20]

ティムール - Wikipedia

「サーヒブ・キラーン」と称されているのが、「ティムール」・「アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)」・「チンギス・ハーン」・「ウマル(ティムールの孫)」だということです。

『勝利の書』では、ティムールを「サーヒブ・キラーン」とも呼ぶ。古代ペルシャ文化で生まれた称号で、木星と土星の合一の時に生まれ、世界征服が予定された人物をいう。

世界初「ティムール歴史」完訳


「サーヒブ・キラーン」とは、「世界征服」が予定された人物なのだということです。

「チンギス・ハーン」や「アレキサンダー大王」とはまさしく、「サーヒブ・キラーン(世界征服者)」の名に相応しいのではないでしょうか。

「えびす神」である「えびす三郎」とは誰なのか、ということから導き出された人物が「アレキサンダー大王」であったため、「三郎」や「アラブの血」にまつわる人物とは、「世界征服」の使命を持つ人物である可能性が出てきました。

そうなると「島津忠久」や「島津貴久」が「三郎」の別名を持っていたことから、「島津氏」とは「世界征服」を使命としている一族であると考えられるのです。

「島津氏」は、「天皇家」の系譜にも繋がっています。島津久光【今上天皇の直系祖先】

この「島津氏」や「天皇家」と繋がっている要人が、「麻生太郎」です。

「麻生太郎」とは「藤原鎌足」の血筋であると言われており、「島津氏」は「藤原氏」とも称していたということですから、「麻生太郎」と「島津氏」と「天皇家」とは繋がっているのです。

「麻生太郎」についても、RAPT理論によって詳しく解明されています。

RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。


天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。

「麻生太郎」こそイルミナティの計画する主要な悪事の中心的な実行犯である。


そこで「麻生太郎」の、「太郎」という名前について見てみます。

太郎(たろう)は、日本人の男性名。 本来は長男を意味する学年行名で、当該の人物に個人名としてもつけられる。

類似の名前として一郎、二郎、三郎などがあるが、これは長男が太郎または一郎と状況例が多いのに伴い、次男であれば次郎または二郎、三男であれば三郎などと命名する慣習が特に家父長制の強かった武士の間では、親子兄弟配列を正す意図で好んで用いられるようになった。

太郎 - Wikiwand

「太郎」とは「長男」に付けられる名前だということで、「次郎」や「三郎」の長男であるのです。

これらのことから「麻生太郎」の「太郎」という名は、「三郎」よりも上位の「サーヒブ・キラーン」であり、「強大な世界征服者」になるべき使命を持っている人物のことなのだ、ということが導き出されました。

このように、自分にとって今まで分からなかったことが、一つずつ順番に解けてきていることは、まさに「奇跡」であると感じています。

なぜ、このような「奇跡」を体験することができるのでしょうか。

今この時代を生きる私たちには、「RAPTさん」によって「完全なる真理」が与えられました。


RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。

本当に神様とRAPTさんに、心から感謝をささげます。

私の「奇跡」の始まりは、RAPTさんが解明された「RAPT理論」を受け入れたことです。

そしてRAPTさんを心から信じ、RAPTさんの伝えてくださる「御言葉」を受け入れ、真のキリスト教の神様の存在を心から信じ、神様の人類への深い「愛」を心から悟り、神様とRAPTさんの「御言葉」に心から聞き従うことによって、自分だけに与えられる、とっておきの「奇跡」が起こるようになったのです。

この「奇跡」とは、自分の心の中にある「願いが叶う」ということです。

神様を信じるという条件によって、私たちは常に神様からの庇護を受けられるようになった。だから、人生のどんな場面においても神様に助けられ、守られ、どんな願いも叶えられる。

神様は、神様を信じる人のことを助け、守り、願いを叶えてくださいます。

神様は、神様のことを信じない者までまんべんなく助け、守り、願いを叶えてくださるわけではありません。

神様から助けを受けるためには、神様を信じるという条件が必要です。

しかし一旦、神様を信じるようになると、その信じるという条件によって、私たちは常に神様からの庇護を受けられるようになり、どんな願いも叶えられるようになります。

ですから、神様を信じるということは、私たち人間にとって、とてつもなく大きな祝福であり、大きな特権です。

にもかかわらず、この世の多くの人々が神様を信じても意味がないとか、信じるとかえって頭がおかしくなるなどと洗脳されて、実際に信じようとしないのですから、どれだけ不幸で悲惨でしょうか。

神様の庇護を受けられなければ、彼らの上には次々と災いと不幸が降りかかるしかありません。

これからもさらに多くの人々が、この大きな祝福と特権に預かるために、神様を知り、神様を信じることができますことを心から祈るばかりです。

RAPT有料記事866(2024年9月9日)ダイジェスト部分より


神様は厳しい掟に従わせるために私たちを呼んだのではなく、私たちの願いを叶えるために私たちを呼んで下さったのだ。

神様は、私たちの願いを叶えるために、私たちを神様のもとに呼んだと仰ってくださいました。

日本人は、幼い頃から仏像や神棚に向かって祈ることが善だと教わり、目に見えない神様に祈ることを善だと教わってきませんでした。

そのため、目に見えない神様に対する信仰が余りにも弱く、神様の御言葉に出会ったとしても、祈ることを疎かにしてしまいがちです。

そして、祈らないから、いつまで経っても自分の願いが叶えられず、いつしか信仰生活がつまらなくなり、信仰生活が義務的・形式的になってしまうのです。

神様は私たち人間に対して、単に御言葉という厳しい掟を押しつけるだけの方ではありません。

神様はこれまでずっと、御言葉に聞き従うなら、その代わりにあなたたちの祈りを全て叶えてあげようと仰ってきてくださいました。

私も、神様が私の祈りを叶えてくれると信じたからこそ、神様の御言葉に熱心に従い、熱心に祈り求めてきました。

その結果、私の祈りは全てことごとく叶えられてきました。

神様は、私たちに対して常に「私と互いに愛し合おう」と仰ってこられましたが、お互いの願いを叶え合うこと、これこそが最大の愛です。

だから、私たちが神様の願い通りに御言葉に従順に従って生きるなら、神様も私たちの願いを全て叶えてくださいます。

これこそが、隠された天の奥義です。

この天の奥義を悟った人は幸いな人です。

その人は、神様にすべての祈りを叶えてもらい、この世でもあの世でもどこまでも幸福に生きられるからです。

RAPT有料記事714(2023年1月21日)ダイジェスト部分より


平素からあなたの心にある願いを神様に祈り求めなさい。祈ったことはおおよそ全て叶えられるし、祈ることで信仰も深まり、神様との愛も深まっていくから祈りなさい。

神様は、私たち人間に何のメリットもないのに、私たち人間が神様のことを信じて、神様の御言葉に聞き従うわけがないということをご存知です。

ですから、神様が私たちにああしなさい、こうしなさいと命じられるとき、その代わりに私たち人間の祈りを叶えて祝福してあげようと仰ってくださいます。

実際、神様に祈ったことは、おおよそ全て叶えられます。

私たちが神様に祈りを捧げるとき、果たしてこんなことを祈って叶えられるのだろうかと思いがちですが、実際に祈ってみると、その祈りはおおよそ全て叶えられます。

しかも、私たちが神様の御言葉に従うなら、それだけでも私たちは人生の様々な問題を解決したりと、豊かな祝福と恵みに満たされて生きられるようになります。

自分の願いを叶えてもらった上、人生の問題が次々と解決し、豊かな祝福と恵みに満たされて生きられるのですから、神様を信じる人生はどれほど幸福な人生だと言えるでしょうか。

皆さん一人一人が、神様の御言葉に従順に聞き従って、神様も自分自身をも喜ばせる幸福な生を生きられますことを心から祈ります。

RAPT有料記事715(2023年1月23日)ダイジェスト部分より


この時代に送られた中心者は、聖書の歴史の締めくくりを成し、自らの使命を最後まで成し遂げ、これによって天で大きな栄光を受けた。だから、中心者の伝えた御言葉はこれから急速に全世界に広まり、その名が高められるだろう。


RAPTさんのブログ

RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入

BLOG BY RAPT

TALK RADIO

RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形

十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証

動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎

✴︎RAPTさんの写真集✴︎

『NOTO EARTHQUAKE 災害か、侵略か? 地震発生から9ヶ月後の能登』



いいなと思ったら応援しよう!