
ハロウィンと「盟神探湯(くがたち)」から、武内宿禰と麻生太郎に繋がる。
ハロウィンの起源とは、古代ケルトのドルイド教徒たちが行っていた「サウィン祭」という悪魔崇拝のお祭りで、そのお祭りではあるゲームが行われていました。
さらに、この「サウィン祭」では、ドルイドの祭司たちは娯楽としてもう一つの催し物を行っていました。
その催し物とはこのようなものです。
先ず12名の捕虜を連れてきて、一つの大きな鍋の前に一列に並ばせます。
そして、その鍋の中にリンゴを入れて、捕虜たちに向かってこう言うのです。
「その鍋の中にあるリンゴをくわえて取り出せれば、お前たちを自由の身にしてやる」
しかし、その鍋の中にはお湯が入っています。
そして、そのお湯は四時間から五時間ほどの間、ずっと沸騰させていたもので、沸点である100度を確実に超えています。
なので、例えリンゴをうまくかじって取り出すことができたとしても、そのときには顔や頭、肩や背中がドロドロに溶けてしまっている可能性があります。
また、眼球が焼けて目が見えなくなったり、外耳道が破壊されて耳が聞こえなくなったり、呼吸器感がやられて話すことも困難になったりする可能性さえあります。
古代ケルトのドルイド教徒たちは、「サウィン祭」を行う度にこのようなゲームをして楽しんでいたのです。
これがドルイド教の実態です。
そして、このような事実がこの世に広く知られるようになったためでしょう。
ドルイド教の神官たちは人々から激しく非難され、一時的にこの世から消滅してしまいました。
しかし、ドルイド教の神官たちは、その後も性懲りもなく、密かにこのドルイド教を「ゾロアスター教」として復活させ、古代ペルシャなどで広く普及させていきました。
さらに、そのゾロアスター教を「神道」や「密教」という形で日本にも伝播し、普及させていきました。詳しくは以下のリンクをご参照ください。
○「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
○天皇もロスチャイルドも日本の歴代首相もみんな実はゾロアスター教徒です。
この「サウィン祭」で行われていた、熱湯鍋の中のリンゴをくわえて取り出させるゲーム、「アップルボビング」と呼ばれるものとは、日本の「盟神探湯(くがたち)」という神明裁判の起源なのではないかと感じました。
盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)は、古代日本で行われていた神明裁判のこと。ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法(神判)である。探湯・誓湯とも書く。
対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。毒蛇を入れた壷に手を入れさせ、正しい者は無事である、という様式もある。あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけいの一種である。
『隋書』倭国伝の記録
『隋書』倭国伝では、「或いは小石を沸騰の中に置き、競う所の者をしてこれを探らしめ、云う理曲なる者は即ち手爛ると。或いは蛇を瓮中に置きてこれを取らしめ、云う曲なる者は即ち手を蟄さると」とあり、7世紀の日本で熱湯や蛇を用いた神明裁判が行われていたことを記録している[1]。
飛鳥時代の日本で行われていた「盟神探湯(くがたち)」とは、『神に潔白などを誓わせた後、探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。』というもので、サウィン祭の「アップルボビング」と同じく悪魔的な裁判であったことが分かります。
日本書紀には、応神天皇9年に「武内宿禰(たけのうちのすくね)」が「盟神探湯」をした結果、勝利したとの記述があるということです。
日本書紀応神天皇9年4月条に、武内宿禰が弟の甘美内宿禰の讒言を受けて殺されそうになり、武内宿禰が潔白を主張したので、天皇は2人に磯城川で盟神探湯をさせた結果、武内宿禰が勝利したとの記述がある[2]。

当時の天皇が編纂を命じた日本書紀の中で特別扱いされている、「武内宿禰」とは一体誰なのでしょうか。
『日本書紀』『古事記』の記す武内宿禰の伝承には、歴代の大王に仕えた忠臣像、長寿の人物像、神託も行う人物像等が特徴として指摘される[1][2]。特に、大臣を輩出した有力豪族の葛城氏・平群氏・巨勢氏・蘇我氏ら4氏が共通の祖とすることから、武内宿禰には大臣の理想像が描かれていると指摘がある[1]。ただし、『古事記』では『日本書紀』に比して物語が少ないことから、『旧辞』の成立より後、蘇我馬子・中臣鎌足ら忠臣がモデルとなってその人物像が成立したと推測する説がある[2][12]。
「武内宿禰」とは、蘇我馬子、中臣鎌足らをモデルとして創られた人物ではないか、との説があるようです。
「武内宿禰」とは、神託も行う人物だとされており、中臣鎌足の祖とは太占(ふとまに)という占いを行う「天児屋命(アメノコヤネ)」でした。
そのため中臣鎌足が、武内宿禰という人物に投影されていることも頷けます。
古事記では、天照大神の岩戸隠れで知られる「天の石屋」の段に、「天児屋命」が登場します。
それで天照大御神は見て恐れ、天の石屋の戸を開き、なかにおこもりになられた。すると高天原はすっかり暗くなり、葦原中国も全く暗くなった。こうして夜がずっと続いた。
天照大神が岩戸に隠れたことにより、高天原と葦原中国が暗くなり、夜がずっと続いたということです。
天児屋命と布刀玉命をお呼びになって、天の香山の雄鹿の肩の骨をそっくり抜き取ってきて、天の香山のカニワ桜を取ってその骨を焼いて占わせ、天の香山の茂った榊を根こそぎ掘り取ってきて、その上方の枝に八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りをつけ、中ほどの枝に八尺の鏡をかけ、下方の枝には白い幣と青い幣をさげて、このさまざまな品は、布刀玉命が尊い御幣として捧げ持ち、天児屋命が尊い祝詞を寿ぎ申し上げ、
この天岩戸隠れと、ドルイド教との繋がりを以前に考察したことがあります。
太陽神である天照大神が岩戸に隠れたことに加え、占いと供物に呪文というキーワードから、暗く長い冬の中でも日照時間が一年で最も短い、冬至の日のサバト(魔女・悪魔崇拝の集会)が思い起こされました。
ユール(冬至)は12月21日頃に行われるサバト。
冬至は一年で最も夜が長い日で、この日を境に昼の時間が長くなっていきます。ユールはサウィンで死を迎えた太陽神(男神)が赤子として生まれ変わり、闇の終わりと太陽の再生を祝います。
北欧では現在でもクリスマスのことを、ユール(冬至)と呼ぶそうです。
今日知っているクリスマスの伝統の多くは、実際にケルトとアイルランドのルーツを持っていることをご存知でしたか?
キリスト教の前のアイルランドでは、祝日は冬至のタイミングを中心に使用されていました。太陽が地平線より上の最も低い地点にある時です。
古代ケルト人はこれを年の最も重要な時期の一つと見ており、古代ケルト族の司祭であったドルイドはユール祭(Alban Arthuanとしても知られる)を祝うために時間を割いた。
クリスマスツリーの伝統の始まりは、実際には異教の背景に由来しています。それはもともと異教徒のアイルランドのお祝いでしたが、今日では木の象徴が全国の世帯や世界中に受け入れられています。選ばれた木は特別な太陽のシンボルで飾られます。太陽、月、星が表されます。死んでしまった人々の魂を表現する装飾があり、祭りの中心にあるケルトの神々や女神に特別な贈り物が与えられます。
ここで注目すべき点は、クリスマスツリーの始まりはケルトのユール祭であり、『選ばれた木は特別な太陽のシンボルで飾られます。太陽、月、星が表されます。』という点です。
古事記の中で岩戸隠れが描かれた場面では、『天の香山の茂った榊を根こそぎ掘り取ってきて、その上方の枝に八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りをつけ、中ほどの枝に八尺の鏡をかけ、下方の枝には白い幣と青い幣をさげて、』と書かれていました。
榊(さかき)を根こそぎ掘り取ってきて、玉などの飾り付けをした…これは、クリスマスツリーその物です。
さらにケルトのユール祭では、その木は太陽、月、星のシンボルで飾られるというのです。
榊の枝に飾られたのは、八尺の勾玉(月)と八尺の鏡(太陽)、白い幣と青い幣でした。
白い幣と青い幣の幣(へい)とは所謂、御幣(ごへい)のことで紙垂(しで)が付けられた物だと考えられます。

紙垂(しで)とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。単に垂とも表記し、四手とも書く。
文献での紙垂の例として、古事記の天の岩戸伝承のなかで書かれている、岩戸の前で賢木の枝に下げた「白丹寸手(しらにきて)」「青丹寸手(あをにきて)」がその初出と言われている。
落雷があると稲が育ち豊作なので、紙垂は、雷光・稲妻をイメージし、邪悪なものを追い払う。
御幣に付けられた紙垂とは、稲妻が象られていると言われています。
稲妻から思い起こされるのが、聖書に書かれているサタンとの関連です。
イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
ルシファー(Lucifer、ルキフェル、ルシフェルとも)は、明けの明星を指すラテン語であり、「光を掲げる者」という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。
クリスマスツリーの始まりとはアイルランドの異教徒によるもので、太陽、月、星のシンボルが飾られていたとのことでした。
ルシファー(サタン)とは、明けの明星を指すため、御幣(ごへい)とは稲妻に加えて、「星」の意味もあったのかも知れません。
天岩戸の前における日本のクリスマスツリー、榊の木に飾られた鏡(太陽)、勾玉(月)、白い幣と青い幣(星)とは、サタン(悪魔)を呼び出すための祭具であったのかも知れません。
このように日本ではすでに神話の時代に、ドルイド教の祭祀が行われ、悪魔崇拝が行われていた可能性が考えられるのです。
ハロウィンの起源である「サウィン祭」で行われていた「盟神探湯(くがたち)」に関与していたと考えられる「武内宿禰」とは、中臣鎌足や蘇我馬子がモデルとされているとすると、「中臣鎌足」と「蘇我馬子」とはドルイド教の神官であったということも考えられます。
このドルイド教についても、RAPT理論によって詳しく解明されています。
RAPT×読者対談〈第41弾〉古代から現代まで世界を支配してきたのは古代ケルトのドルイド僧である。
古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。
日本の古墳も生け贄儀式を行うためのドルイド教の祭儀場でした。
この「武内宿禰」という名前とは世襲名だということで、現代にまで継承されているようです。
武内宿禰(たけのうちのすくね)は、景行(けいこう)天皇から仁徳(にんとく)天皇までの5人の天皇に仕(つか)えた3百才を超す長寿の伝説的な大臣だが、先祖代々に渡って、直系子孫に武内宿禰(たけのうちのすくね)の名前を竹内(たけうち)氏が襲名して、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が2020年1月13日に亡くなって、長寿の理由をひもとける。
ドルイド教の神官の名であると考えられる「武内宿禰」が、現代まで世襲されているのであれば、「サウィン祭」という悪魔崇拝が「ハロウィン」として現代まで続いているということも、信じられるのではないでしょうか。
「武内宿禰」と言えば、竹内文書が思い起こされます。
竹内文書には、竹内文書と、正統竹内文書口伝 があり、 正統竹内文書を現代の竹内睦泰氏が、第73世武内宿禰として継承していたそうですが、2020年に死去されたとの情報がありました。
この竹内文書と関わる人物も、RAPT理論によって解明されています。
竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、天保10年12月26日(1840年1月30日) – 大正11年(1922年)1月9日)は、日本の武士(土佐藩士)、実業家、政治家。
内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎は外曾孫。
いずれにせよ、この「竹内綱」が「武内文書」の継承者である以上、その曾孫である「麻生太郎」も同じく「竹内文書」の継承者の一人、ということになってしまうのです。
麻生太郎が、竹内文書の継承者の一人であるというのです。
麻生太郎と言えば、藤原鎌足(中臣鎌足)の系譜であることが知られています。
そのため「中臣鎌足」が、「武内宿禰」を承継する家系であった可能性は、極めて高いのではないでしょうか。
「武内宿禰」は、「盟神探湯(くがたち)」という神明裁判に勝利した、と日本書紀に書かれているということでした。
熱湯に手を入れても火傷しなかったということは、「武内宿禰」自身が「盟神探湯」の占いを司っていた、ということなのではないでしょうか。
これらのことによって「武内宿禰」とは、世襲制のドルイド教(悪魔崇拝)の神官名であったということが導き出されるのです。
最近では保育園でもハロウィンの行事があり、テーマパーク等でもハロウィンイベントが行われており、残念ながら日本にハロウィンが定着してしまっていると感じます。
今回はハロウィンの起源をよく知らない方々へ、何とかハロウィンとドルイド教の恐ろしさに気付いていただけたらと思い、この記事を書きました。
RAPTさんは御言葉の中で、『サタンは絶えず私たちに霊界から悪い影響を与えようとしています。』と、教えてくださっています。
私たちが自覚しようとしまいと、絶えず私たちは霊界から良い影響も悪い影響も受けて生きている。
その中で、私たち人間が神様から良い影響を受けるか、サタンから悪い影響を受けるかは、私たちの平素の行いによって決まります。
すなわち、神様の御言葉に従って、神様を愛して生きるならば、霊界から聖霊の良い影響を受けて生きられますが、神様の御言葉に従わず、神様を愛することもなく生きるなら、霊界からサタンの悪い影響を受けて生きることになります。
そして、霊界から良い影響を受けて生きる人は、自ずとその運命が好転していきますし、逆に霊界から悪い影響を受けて生きる人は、自ずと運命が悪化していきます。
神様が私たちに御言葉を伝えてくださっているのは、私たちが霊界から絶えず良い影響を受けて、幸福に生きられるようにするためなのです。
今回、ハロウィンの記事を書きたいと思った際、なかなかテーマを見つけられずに困っていました。
そのため神様、聖霊様に、テーマが見つかるようにお祈りしました。
すると翌日には、「盟神探湯」という閃きを与えていただき、無事に記事を完成させることができました。
私たち人間が、神様へ祈ったことは、本当に叶えられるのです。
神様、聖霊様に、本当に心から感謝いたします。
神様は厳しい掟に従わせるために私たちを呼んだのではなく、私たちの願いを叶えるために私たちを呼んで下さったのだ。
平素からあなたの心にある願いを神様に祈り求めなさい。祈ったことはおおよそ全て叶えられるし、祈ることで信仰も深まり、神様との愛も深まっていくから祈りなさい。
RAPTさんのブログ
RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
BLOG BY RAPT
TALK RADIO
RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形
十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証
動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎
✴︎RAPTさんの写真集✴︎
