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それでも太陽をみつめつづけた花

連載シリーズ 物語の“花”を生ける 【プロローグ】はこちらから

第10回 映画 『ひまわり』(監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 主演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ)

トリエステのロンキ・デイ・レジョナーリ空港(通称 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)に到着したのは、空にまだ、オレンジ色のグラデーションが残る時間だった。

薄暗いターンテーブルところで荷物が出てくるのを待ちながら、荷物を取り上げて出口に向かっていく人々を眺めていた。ローマから同じ飛行機に乗り合わせた人たちは、男女かかわらず、ほとんどがローマからの商用の帰りといった様子だったが、家族が車で迎えに来ていた。

日本なら終業時間でもないこの時間、一度、会社にもどって報告して、残務して・・・というところなのだろうが、家族が迎えに来て、もう何年も会っていない者同士のような抱擁を交わし、夕闇に消えていく光景が、遠い異国に着たことを思わせた。

私の荷物が出てきたのは最後のほうだったらしく、人の姿がほとんどないことに気がついた。大きな荷物を一緒に取り上げてくれる人もいなくて、急な寂しさとともに不安を覚えたが、ここからが本当の旅のはじまりなんだから、ホテルに着くまでは気を強く持たなくては、と気持ちを奮い立たせた。

ガラガラとスーツケースを引っ張りながら、まず、トリエステの市内に向かうバスの切符売り場を目指した。事前にホテルにメールで、飛行機が15時半前後に到着することを伝え、ホテルまでどのように行けばいいかを尋ねたところ、バスかタクシーでトリエステ中央駅まで来ればその目の前だと教えてくれた。

以前にこの地域を旅した日本人が、インターネット上にバスの切符売り場(自動販売機)までの行き方を撮影した動画をアップしてくれていて、それを思い出しながら、なんとか売り場までたどりついた。

しかしトリエステ市内までの料金がいくらといった表示がなくて、どのように買ったらいいのか分からなくて呆然としていると、

“Hi, May I help you ?”

テーンエイジャーと思われる女の子が、英語で声をかけてくれた。ほっとして、私もつたないながらも英語で

“I would like to go to Trieste Central Station.”と言いかけたところ、

“I’m sorry I don’t understand English.”

“・・・”

テーンエイジャーに感謝の言葉を伝えたものの、英語が分からないなら、英語で声かけないで欲しいと思ってしまった。とはいえ、イタリア語ができないまま、今日ここまで来てしまったことを悔いた。

自動販売機でチケットを買うのを諦めて、どこか窓口で買えないかと思って、構内の売店のおばさんに、トリエステ中央駅まで行きたいんだけど、どこかでバスのチケットは買えないかしら?と尋ねたら、ここで買えるわよといってくれた。

キリスト教国なのに地獄に仏とはこのこと!

さっそく財布からお金を取り出しながら、いくらか聞くと30ユーロと言われた。あれ?ホテルからのメールには、バスなら10ユーロ、タクシーなら50ユーロくらいってあったのに、もうここでぼったくられるの、私?と半ば絶望的な気持ちになった。

でも言葉も通じない国でいきなりタクシーに乗るのは怖いし、タクシーなら50ユーロかかるところそれよりも安いなら、30ユーロでいいかと諦めの気持ちで、50ユーロ札をおばさんに渡すと、

No, no, no といって、10ユーロをよこせといっているらしきジェスチャー。

よく分からないまま10ユーロ札を渡すと、8.7ユーロのお釣りと切符をくれた。

英語のサーティ(30)とサーティーン(13)の聞き間違い?でも1.3ユーロ・・・ホテルの人がいっていた10ユーロってなんだったのかしら???

とりあえずTriesteと書かれた切符が手に入ったので、お礼に水とお菓子を買って、バス停の番号を聞いて、外に出た。

この時間になると、さすがに空は群青色のグラデーションになっていて、下の方にほんのりとオレンジ色が残っているだけだった。日本の、そしておそらく世界中の空港がそうであるように、周辺にはこれといった建物はなく、ただ鉄の網とコンクリートの平原があるだけの風景だったが、初めての海外一人旅ながら、自力でここまで来られたことが誇らしかった。

乗り込んだバスが17時に出発したころには、あたりは真っ暗になっていた。まったく見知らぬ土地、縁も所縁もない土地で、バスの窓から何も見えないことが、こんなにも不安だなんて思わなかった。たしか海岸線を走っているはずだけれど、それが右手なのか左手なのかも分からなかった。

途中途中のバス停で、通勤帰りと思われる人たちが乗り込んでくる。海外での生活経験や留学経験がない私にとって、これまでに交流がなかった民族・人種の人たちと同じバスに乗り合わせていることが不思議で、バスの蛍光灯の薄暗さと相まって、現実味がなかった。

1時間半ほどどこだかわからないところを揺られていると、市街が近づいてきたらしく、窓の外が街灯で少しずつ明るくなってきた。すると通勤者たちはおのおののバス停で降りていき、最後はビジネススーツを着た男性と私のふたりきりになった。

ギリシャ神殿のような様式の破風がオレンジ色の蛍光灯で照らされた大きな建物が見えてきた。あれがトリエステ中央駅。なんとかたどり着いたことに胸をなでおろした。しかしそれも束の間、駅前で降ろしてくれるのかと思いきや、駅前をよこぎって、奥の車庫らしきところに入った。

鉄骨が剥き出しになった、裸電球がひとつふたつあるばかりの、真っ暗な車庫。気だるそうな動作の運転手が荷物を降ろしている間、あまりにも恐ろしくて足が震えた。やっとの思いで荷物を受け取ると、スーツケースを引きずりながら駅のあかりを目指して一目散に走り出した。

母に勧められた観た映画「ひまわり」。雨の夜、ジョヴァンナを訪ねてきたアントニオが、ミラノのバスの待合所でその日の宿を思案していると、夜の女がやってきて、泊まるところがないならうちに泊めてあげるわよと言われている。おそらく車庫も兼ねているミラノのバスの待合所の暗さが、あのときのトリエステの車庫の暗さを思い出させた。

* * *

第二次世界大戦中、ジョヴァンナとアントニオは浜辺で出逢い、恋に落ちる。アントニオは翌日アフリカ戦線への出征が決まっていたが、離れがたいふたりは、ジョヴァンナの提案で結婚する。結婚すれば12日間の休暇(出征猶予)がもらえるからだ。翌日の挙式後の甘い休暇は瞬く間にすぎて、10日目を迎えていた。そこでふたりは、オントニオが精神の病で混乱しているという一芝居を打つ。途中までうまくいっていたものの見破られて、懲罰でもっとも厳しいロシア戦線へ送られてしまう。

終戦後、何年待ってもアントニオは戻ってこない。ジョヴァンナは出兵者や戦没者を管理する役所に何度も足を運ぶが、その消息は杳として知れず、やっと極寒の地を敗走中にアントニオと一緒だったという帰還兵に出会う。その男の記憶をたよりに、スターリン没後のソ連にわたり、アントニオを探しはじめる。

戦時中、イタリア軍の戦闘地だった南部ウクライナの、今はひまわり畑になっている土地に案内される。そこで命を落とした多くのイタリア人兵士や土地の人々の慰霊碑に接し愕然としながらも、このなかにアントニオはいないと明言し、言葉の通じないこの地でアントニオの写真を一人ひとりに見せながら、消息をたずね歩く。

ある小さな町で婦人たちに案内されて、写真の男によく似た男が住んでいるという家の前に立つ。洗濯物を取り込む若い女にアントニオの写真を見せると、女も何かを察したかのように、ジョヴァンナを家に招き入れた。そこでアントニオがその女と暮らし子供までいること知り、涙が止まらない。夫が帰ってくる時間だといって駅に案内されると、列車からアントニオが降りてきた。そして・・・。

ひまわりという花

この映画、タイトルこそは「ひまわり」で、イタリア語の原題でもひまわりを意味する「I Girasoli」ではあるけれど、冒頭とそこにつながる最終の場面と慰霊碑の場面にしか、ひまわりは出てこない。ジョヴァンナとアントニオの思い出の花というのでもない。

もちろん、戦禍によって引き裂かれた夫婦を描き、多くの人々が命を落とした場所で花を咲かせるひまわりを象徴的に映し出し、タイトルとすることで、戦争の無惨さや無意味さを、あるいは戦争が終わってもいまだ立ち直れない人々の生活やありようを伝えようとしたことは、想像できる。

けれども、そこにひまわりの植物としての生態や文化的な多様なイメージを重ねてみることで、タイトルにこめられた、その奥にある何かにふれることができるのかもしれない。そんな予感と期待に突き動かされて、あれこれと考えてみることにした。

ひまわりは夏の花で、熱いところで咲く花という思い込みがあったせいか、夏とはいっても平均気温が25度前後、日差しもそれほど強くはなさそうな極寒の地ウクライナで、ひまわりが一面に咲いているのを不思議に思った。

『植物のひみつ 身近なみどりの“すごい”能力』(田中修 中公新書 ※1)によると、ひまわりはもとは北米原産で、ヨーロッパには500年ほど前に伝えられたという。日本では観賞用の花だが、世界的にはタネを食用とし、タネから油がとれるために、背を高くして大きな花をつけ、多くのタネが収穫できるように品種改良が重ねられた。特に、ロシアとウクライナの生産高は世界1位2位を争っていて、ロシアの国花がひまわりだというのを初めて知った。また、春に発芽して、夏に花を咲かせ、秋に種をつけて終わる典型的な一年草でもある。

スペインのアンダルシアや『ラマンチャの男』の舞台でもあるクエンカにも、広大なひまわり畑があるけれど、なるほど、夏に咲くとはいっても、日本や東南アジアのような高温多湿の夏ではなく、地中海性気候のスペイン、ステップ気候のウクライナといった、乾燥した地域の夏に咲く花なのだ。

ひまわりを生けるとき、深水ではなく浅水(茎の先端から5センチくらいのところで水を止める)でと言われるのだが、おそらく乾燥した土地で水分を効率よく吸い上げるためなのだろう、茎の皮が薄く、なかが空洞のようになっているので、過剰な水分に浸して茎を腐らせないように浅水でと言われるのかもしれない。

そして、ギリシャ神話にもひまわりは登場する。水の妖精クリュティは太陽神アポロンを恋慕っていたが、アポロンは別の女神のことが好きだった。クリュティは恋が叶わないことを知りながら、東から西の空へと黄金の馬車を走らせるアポロンを9日間立ったままで見つめつづけていたら、足に根が生えてひまわりに姿を変えたという。ひまわりが太陽を向いて咲く花であることの所以を語っている。

小学生のとき、理科の課題で春にひまわりの種を植えたこともあったけれど、ほとんど何も知らなかったことに気がついた。日本では1600年代の中頃にはすでにあったといわれている(※1)が、古典的な文学作品に登場するイメージもあまりないこともあり、夏の花として身近でありながらも、心理的にも知識としても遠い存在だったことを今更ながら、申し訳なく思った。

映画のなかのジョヴァンナは、ギリシャ神話のアポロンだけを見つめつづけたという妖精クリュティと重なった。アントニオと出会い、アントニオだけを見つめつづけた人生。そうはいっても、戦中・戦後をくぐり抜けた現代のストーリー、ジョヴァンナは愛するアントニオとの暮らしを守るため、自ら行動する。12日間の休暇(出征猶予)がもらえるといって結婚したことも、精神疾患を装い出征をのがれようとしたこともジョヴァンナの発案だった。アントニオ出征後も、洋服の仕立てで生計を立て、ときには姑を気遣い、アントニオは絶対に生きている、ソ連中を歩いてでも必ず探して連れて帰ると励ます。

そんなジョヴァンナを演じるのは、日本でも人気が高かった世界的な映画スター、ソフィア・ローレン。ギリシャ彫刻のような端正な顔立ち、意志の堅牢さと気丈さをうかがわせる一直線の肩としなやかに釣り上がった眉、それでいてイタリアのママンの包容力を思わせる豊かなバストライン。

アントニオが生きてほかの女と家族をもったことを知って自暴自棄になり、その場限りの恋に身をゆだねながらも、どこかアントニオの面影を宿す男と付き合っている姿も、かなしいまでに美しい。どれをとっても、ジョヴァンナを演じきれるのはこの人しかいないと思わせる説得力があった。

一方、アントニオはどちらかというと受け身な男で、終始、女のリードでことが運ぶ。ジョバンナとの暮らしがそうであったように、ロシア戦線で行き倒れたときに、雪のなかから引きずり出し命を救ってくれたのは、その村で暮らす若い女だった。女の世話を受けているうちに、男女の関係になり一女をもうける。ジョヴァンナが訪ねてきたあと、結婚生活に身が入らなくなった夫をみかねて、イタリアへの一時帰国を促したのもその女だった。

そんなアントニオは妻の許しを得て、ミラノまでやってきてジョヴァンナに電話をしたものの、断られてしまう。雨と雷が轟くミラノ駅のバスの待合で途方に暮れていると、夜の女が声をかけてくる。このあたりにホテルはないかとたずねると、泊まるところがないならうちで泊めてあげるわと言われて、不本意ながらも仕方がないといった表情でそれを受け入れる。えーついてっちゃうの???と、私もおもわず声を上げてしまった。

女の提案や申し出を断りきれない受け身な男の人生を微妙な表情で演じたのは、往年の名監督たちに起用されたイタリアを代表する名優マルチェロ・マストロヤンニ。剛のソフィアに対して柔のマストロヤンニの組み合わせが、絶妙だった。

結局ふたりは再会するのだけれど、元の鞘におさまれるはずもなく、それぞれが生活する場所に帰っていく。アントニオが出征したミラノ駅で、ジョヴァンナはふたたび彼を見送るのだけれど、妖精クリュティがそうであったように、その後の人生も、彼女は心の中にあるアントニオの面影だけを見つめつづけていくのだろう。そしてふたりの結婚生活がたったの12日間だったことも、ひまわりの一夏の短命さを思わせた。

黄色が暗示するもの

ひまわりの黄色という色も、この映画のなかでは印象的に使われている。ふたりが結婚式を挙げた翌朝、アントニオが祖父をまねて、24個の卵でオムレツをつくって食べるシーンがある。ナポリ出身のジョヴァンナはオリーブオイルで焼くというのに対して、ミラノの出身のアントニオはバターでと言い張るところが、イタリアの各地域の食文化が垣間見えるところでおもしろいのだが、卵の色は黄色で、ひまわりのように大きくて丸いオムレツができあがる。

そして、ジョヴァンナがソ連にわたり、ウクライナでアントニオを探して回るとき、着ている洋服が、茶のニットスーツ(ツイードだったかも)に黄色のコットンのアイレットレースのシャツを着ている。その洋服でひまわり畑の迷路から出てきた瞬間、大地の茶と花の黄色と重なって、ハッと胸をつかれた。

日本でいうと黄色は太陽の色(赤の場合もあるけれど)で、明るく活発な色、人を元気にする色、中心を表す色として認識、活用されているが、ヨーロッパ文化、特にキリスト教の文化圏では一時期、忌み嫌われる色だったという。レオナルド・ダ・ウィンチの『最後の晩餐』やジョットの『ユダの接吻』では、キリストを銀30枚で売り渡したユダの衣装を黄褐色で表現していることから、「裏切り」を意味したという(※2)。

自分が望んだことではない、状況がそうさせたとジョヴァンナに言い訳をする、受け身なアントニオならではの無意識なずるさが、女たち(ジョヴァンナ、ウクライナで待つ女、バスの待合で出会った夜の女)を傷つける。そんなアントニオのあれこれを裏切りといえるかどうかは微妙ではあるものの、アントニオがつくった黄色のオムレツにそんなニュアンスを読み取ることはできまいか。

またアメリカには、戦争で離れ離れになった男を待つ『黄色のリボン』というフォークソングがある。黄色は南北戦争時代の騎馬兵を示すリボンの色だったのではないかと考えられている。それにちなんでイラク戦争や湾岸戦争の折、派兵された人の家族が黄色のリボンを窓やドアに掲げて無事の帰還を祈ったという(※3)。

この歌はイギリスの民謡がもとになったらしく、アメリカのフォークソングでは「yellow ribbon」という歌詞の部分が、イギリス民謡では「green willow」となっていて、「yellow」の音にも通じる「willow(柳)」の花言葉は「見捨てられた恋人」だという(※3)。黄色のシャツは、ジョヴァンナのそのような境遇を暗示しているとも言える。

このほかにも、山田洋二監督の『幸福の黄色いハンカチ』の原作となった『幸せの黄色いリボン』というポピュラーソングがある。おそらく一度は聞いたことがあると思うが、刑期を終えた男が、待っている女に自分を受け入れてくれるならオークの木に黄色のリボンをかけておいて欲しいというストーリー(※4)。これはアントニオ側の歌ともいえるだろう。

アメリカの歌がイタリア映画のモチーフに使われているとは考えにくいけれど、「ひまわり」の監督ヴィットリオ・デ・シーカが、1950年代に入ってハリウッド映画の大物プロデューサーと共同出資して映画「終着駅」をつくった(※5)ことを考えると、アメリカの歌を知る機会があったのではないかと想像をたくましくしてみる。

次の世代の土壌となる花

最後に、もう一度、ひまわりの花に戻ってみたい。ひまわりが栽培される目的の一つに、成長した葉や茎を腐らせずに肥料として土に混ぜ込みながら耕し、次の作物の土壌づくりをすることにある(※1)。

ジョヴァンナが訪れたひまわり畑の下には命を落とした人たちが眠っていることは先にも書いたけれど、戦後の人々の生活は、戦禍で命を失った人々、あるいはジョヴァンナとアントニオのような形で犠牲になった人々の上に成り立っている。

あのひまわりもまた、種が収穫された後は葉や茎を肥料として土に還っていき、そのうえにあらたな作物が植えられる。そうして生き残った人々の生活が明日へとつながれ、その命や生活もまた次の世代の土壌となることを、この映画は、「ひまわり」というタイトルをとおして教えてくれているのではないだろうか。

* * *

トリエステのホテルの部屋に到着したとき、部屋の時計はすでに20時を回っていた。真っ暗なバスの車庫から一目散に走って灯りのあるトリエステ中央駅前の大通りに出ると、予約したホテルの名前が見えてきた。ところがホテルのフロントでパスポートを預かるだのなんだの一悶着があった。部屋代はすでに日本の旅行会社を通じて払っているのだから、その必要はないのでは?どうしてもあずかるというのなら、コピーをして原本は返してほしいといったやりとりが続いた。

中世の城の門番が手にしているような、あるいは絵本で読んだ西洋のおとぎばなしに出てくるような形の鍵を受け取って部屋にたどり着くと、どっと疲れがおしよせた。とりあえず、少し荷物をほどいて、受付でもらったぬるいお湯を、日本からもってきたお茶とインスタントラーメンに注ぐ。ラーメンができあがるまで、ベットで横になった。

日本時間のままの腕時計をみると、自宅を出発してからすでに23時間が経過していた。23時間で、クロアチアとスロベニアに囲まれたこの都市に来られたことは、近いのか遠いのかもわからなった。不意に襲われた眠気に抗うことができず、次第に意識が遠のいていった。



※1 本noteのひまわりの植物としての生態については、以下を参考とした。

※2 キリスト教文化における黄色の意味合いについては、こちらを参考とした。 黄色は卑しい色?

※3 アメリカのフォークソング『黄色のリボン』については、こちらを参考とした。黄色いリボン 歌詞の意味・和訳 映画主題歌

※3 アメリカのポピュラーソング『幸せの黄色いリボン』については、こちらを参考とした。幸せの黄色いリボン 歌詞の意味・和訳

※4 映画「ひまわり」の監督ヴィットリオ・デ・シーカについては、こちらを参考とした。イタリアへのエールを込めて、名作「ひまわり」をもう一度



なお、昨年2020年に、デジタルリマスター版も公開されたので、ぜひそちらもお楽しみいただきたい。


第9回 過去も未来も超える花 『時をかける少女』(筒井康隆)

第11回 女の生き難さを物語る花 『源氏物語』 朝顔の巻


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