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~どこかの誰かの1日~#8 「ゆきのまち」大阪府 24歳 Kさん(前編)

『病室の窓から見えていた銀杏並木は、すっかり葉が枯れてしまいました。その様子を一緒に眺めていた山々も知らない間に雪化粧をしていて、私だけ素肌なのが、なんだか恥ずかしく感じます』


 そんな一通の手紙が僕のもとに届いた。送り主の名前は深見 沙羅。僕とは同じ村出身の幼馴染である。

 沙羅と僕は新潟県にある山奥の村で生まれた。家は隣というわけではなかったが、子供も少ないこともあって、俺たち二人はすぐに仲良くなった。
 小学校、中学校とバスに乗って山を越えて通学する。高校生の時にはそれに加えて電車を乗り継いで登校していた。
「沙羅ちゃんに何かあったら家に入れんからな」
 それが僕の親父の口癖だった。沙羅は生まれつき体が弱く、一度小学校の帰り道、発作を起こしたことがあった。
 それからは僕が沙羅を送り迎えすることになり、学生時代は同級生にその様子をからかわれたものである。


「いつもごめんね?」
 高校に入学したばかりのある日の帰り道、沙羅は僕にそう言った。
 小さい頃の沙羅は男勝りな性格で、よく村の子供たちと取っ組み合いもしていたが、中学生にあがった辺りから病状の悪化により、外で遊ぶことよりも部屋で本を読むことが多くなった。
 その頃からだろうか、大きな口を開けて笑う沙羅の表情は段々と見れなくなり、その代わりに僕に謝る時のような困り顔を、よく見せるようになっていた。
 僕はそのときにはもう、彼女のことが好きだったから、そんなこと苦でもなかったのに。



 高校卒業後、沙羅や友人の多くは地元の大学へ進むか、就職することを選んだ。その中で一人、僕は大阪の医大に進学を決める。沙羅の病気を治すため、医者になることを決意してのことだった。
 
「俺がいなくなっても大丈夫か?」
 故郷を離れる日。駅のホームで沙羅にそう尋ねる。見送りには彼女の他、両親や地元の友人達が来てくれた。
「大丈夫、心配ないよ」
 沙羅はそう言ったが、強がりなのは明らかだった。病状は年を重ねるごとに悪化し、このときの沙羅は、車椅子に乗らなければ外に出ることができなくなっていた。

「必ず、医者になって帰ってくるから、それまで待ってて」
 沙羅の両手を強く握り、そう伝える。彼女の手は白くて、細くて、そして冷たかった。


――それから五年経った現在。大学生活も終わりを迎えようとしているころ、僕は久しぶりに故郷の村へと向かうバスに乗っていた。
 大阪から夜行バスに乗り込み、揺られること七時間。ようやく新潟県に入ったらしい。この付近はここ数日大雪続きだったらしく、バスは轍の上を器用に走ることで運行を続けていた。
 天気予報によると、今晩も外を歩くことすら難しいほどの雪が降るらしい。
 僕はもう何度も読んだ手紙を取り出し、改めて続きを読み返す。沙羅の書いた手紙にはこう続いていた。


『あなたは、お元気で過ごしているでしょうか。実はお伝えしたいことがあり、手紙をしたためることにしました。
 というのも、どうやら私の命はもう長くないようです。私が眠っていると思ったのか、病室で両親とお医者様が話しているのが聞こえてしまいました。
 
 長くてもあと、三ヶ月だそうです。いつかこんな日が来ることは理解しておりましたので、思っていたほど不安や恐怖はありません。
 ただ、私の命が潰えてしまう前にひとつ願いが叶うのならば、あなたにもう一度会いたいです。友人であるあなたに、こんなお願いするのは傲慢なのかもしれません。それでも私はあなたに会いたいです。
深見 沙羅』


 僕がこの手紙を読んだのは沙羅が手紙を書いてから二ヶ月ほど経過した頃だ。大学で特待生に選ばれていた僕は、半年間の海外留学で日本を離れており、帰国した昨日まで沙羅の状態を知ることができなかったのだ。

 郵便ポストの中に「深見沙羅」の名前を見つけた時から、いい知らせではないという予感があった。
 これまで、学業の忙しさにより中々帰省できない僕に、年賀状代わりの手紙をくれてはいたが、それ以外で手紙をくれたのは初めてのことだったからだ。
 僕は急いで封筒を開けると、丁寧に四つ折りにしてあった手紙を開いた。その手紙が沙羅の直筆であったことにひとまず安心するも、内容は喜べるものではなく、僕は手紙を読むや否や新潟行きの夜行バスを抑えようとパソコンを開く。
 幸いその晩に新潟へと向かうバスが大阪から出ていたため、教授や知人に状況を伝えると宿泊の用意を整え、夜を待つ。昨日以上に太陽が憎らしかったことはなかった。


「――まもなくバスは蓮台寺パーキングエリアにて一時休憩を致します。ここが最後の休憩となりますのでご注意ください。バスは15分後に出発致します」
 運転手さんのアナウンスが流れる。そのアナウンスを合図に車内には電気が灯った。
 乗客が数人が車内から降りていく。外は相変わらずの吹雪だったので僕は車内でバスが出発するのを待つことにした。


 ――15分後。バスが動く気配がない。他の乗客も不思議に思ったのか少しざわつき始めていた。
 運転手さんが席を立つ。車内には再びアナウンスが流れる。

「皆様。大変申し訳ございませんが、現在吹雪により視界がたいへん悪くなっております。そのため乗客の皆様の安全を第一に考え、このバスは蓮台寺パーキングエリアにて、運行を一時中断させていただきます。
 尚、運行再開について決まり次第お伝えさせていただきます。皆様にはたいへんなご迷惑をおかけします。申し訳ございません」

 アナウンスが流れて数分、車内のざわめきは一層大きくなっていた。
 運転手さんに詰め寄る人もいれば、しきりに携帯電話でどこかに連絡する人もいた。
 周りにはお店もないこんな場所で立ち往生。それもいつまでなのかもわからないとくれば、それも仕方ないのかもしれない。
 そんななか、僕はこの状況からどうすれば、沙羅のもとにいちばん早くたどり着くことができるのかだけを考えていた。

「歩こう」

 結論が出た。ここから彼女がいる病院までは2キロもない。平常時ならば問題なく歩ける距離だった。
 僕はそう決断すると、運転手さんや他の乗客が止めるのも聞かずにバスから降りた。
 わずかに残る道をたどりに、深い雪の中を進む。「一刻も早く彼女に会う」僕の頭のなかはただそれだけだった。

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