邪悪な人間は変装の名人である。
邪悪な人間とは何か・・・?
邪悪な人間は変装の名人である。
一人の未熟な若い警察官に告ぐ!
彼らが自分の本性をーーー他人に対しても、自分自身に対してもーーー進んで明らかにすることは先ずありえない。
ただ一つの行為を見ただけで、人に大対して、邪悪な判断を下す事ができるなどということは、極めて稀なことである。
行動パターンの全体、相手の立ち振る舞いやスタイルを見て、それにもとずいて判断を下さなければならない。
心使いの欠如は、全く定常的なもので無神経さがあるのだった。
見事な程に世の機微に通じていて、如才なく振舞う人たちで、人に花を贈ることを決して忘れない人なのに、特定の人間に対しては意識的であろうとなかろうと、選択された無神経さがある。
邪悪性には、根本的に何か理解不能なもの? 探りだすことの不可能なものがある。
そのような人間は常に自分たちの動機を嘘で覆うものである。
一回か二回嘘をつくというよりも、繰り返し、常習的に嘘をついている。
注意深く観察すれば、嘘はいたるところで見られる「虚偽の人」である。
それらは、見せかけの、うわべを取り繕う一つのやり方で大きな逃げ道が隠されているのだ。
見せかけの態度に共通してみられるのが、愛を装うこと、いかに相手を心配しているか??いかに相手に尽くしているか?(自分たちは善人であり、愛情深い人である)
それと全く正反対のものを隠そうとするものである以上、当然の事である。
この見せかけは、他人を騙すのと同程度に、自分自身を騙すものである。
(なあるほどう)
愛の見せかけ行動は、経験を積んだ人には分かる。
ある程度の問題で、「落ちつつある人」」「と落ちる人」のその一線を超えたもので、自分のナルシスト的な自己像を守る為に、相手を犠牲にするのに限度というものがない。
相手を救いようがない、出来損ないであると、冷淡に言うことなど何でもない、相手をスケープゴートにする欲求には止まることがなく、限度もない。
とんでもない言いがかりを言う。
一言の嘘の中に一つではなく、複数の嘘が絡み合っている。
「種の天与の才能で有り、その噓八百は賞賛に値するものだ。」
(後天的なものも絡み合っているが?? 何かが? 生存のための攻撃反応か? 遺伝子に伝えられている。 嘘を七回つけば、脳が本当のことと誤認してしまうという。嘘をつく本人も実際にそう信じ込んでいるという。)
この犠牲者になる典型的な者が子供である。
子供とは未熟な者であり、親に依存する者であり、親が大きな権力を持つ以上、絶対的な力を行使しうるもので、悪用されると言う事実を否定できない。
子供がその親から自由ではありえないと同様に、親も子供により加えられる圧力からは、容易に逃げ出すことはできない。
親と子供の関係は、強制された親密性の関係である。
(エッ? 絆じゃないの? 甘かったわ? 血は濃く、濃ければ濃いほどに、支配欲も限度がなく横暴、異常になるのね。兄弟間の争いも同じなのねエ?)
ある程度深く掘り下げ、探らないと問題の探求にはならないし、問題を見つけることはできない。
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