図書館員、音響コーナーを偲ぶ……いや、あんまり偲ばない
かつてうちの図書館には視聴覚コーナーがあり、CDがクラシックから邦楽洋楽、アニソンや映画音楽、落語から稲川淳二の怪談までずらりと並んでいた もちろん《試聴》ブースも併設され、1日1時間、希望者は思い思いのCDを《試聴》できた。
何故《カッコ》つきなのか?
《視聴》ブースではなく、《試聴》ブースだからである、似て非なるものであるとわかっていただきたい。あくまで試聴なので4枚組の壮大なクラシックを序曲から最終章のアリアまでなんて聴けませんのですお客様。『フィガロの結婚』を最後まで聴かせろという御要望にはお応えできません、申し訳ないけど。
……まあ、この《試聴》コーナーがよくトラブった。
トップクレームは上記の通り、「最後まで聴かせろ。」……CDはそもそも74分マックスで入るのに何故ラストまで聴かせないのか、アルバムを丸々聴きたいという声も寄せられた。それ許可したら8枚組CDとかどうなるの。でもまあこれは序の口、気持ちはわからなくもなかった。
常連のご老人で、この1時間ルールをいつも守ってくれない人がいた。クラシックを愛し、ベートーヴェンを中心に心ゆくまで試聴席に座る。お時間ですと伝えても何故1時間なのか、おかしいじゃないか、《試聴》じゃなくて《視聴》コーナーにするべきだ云々と仰られる。
でもある時カウンターで、クラシックお好きなんですね、と話をしたら、だんだん守ってくれるようになり、来館時には挨拶を交わすようにもなった。目を閉じ腕を組んで背筋を伸ばし『田園』や『第九』に聴き耽る姿はどこか大名っぽくて、自分の中では「殿」と呼んでいた。
「殿、そろそろお支度を……間もなく1時間経ちまする」
「うむ」
そんな会話を(もちろんこんな時代錯誤ではなく)かわしていたのだけれど、自治体の方針で試聴コーナーが取っ払われた時、哀しそうに笑っていた。申し訳ないです、殿。
意外と多いのが、歌い出す人。言うまでもなく困る。
ヘッドホンつけたままおばちゃんが、はぁーんはぁはぁーん♫ふわぁーんははぁん♫と演歌をハミングしだす。歌うのはやめてくれと言いにいくと不愉快そうに「歌うのもダメなの?」とブツブツいう。ここはどこだったか思い出せ。
他にもけっこうなボリュームで熱唱し始めたおにぃさんが居て、これも止めにいった。止めに行かざるを得ない。ともするとハオウショウコウケンも使わざるを得ない。
「お客様、歌うのはご遠慮ください」
「歌? 歌なんて聞こえないよ!」
「いや、お客様が歌ってるそれです」
「ああ? ヘッドホンつけてるんだぞ、俺が歌ってても聞こえるわけないじゃねえか!」
これ、ジョークなのかと思ってしまった。
自分は歌ってるかもしれないが、ヘッドホンをつけてるから聞こえない……聞こえないから歌ってるかもわからないし、うるさくないから迷惑じゃない……いやいや周りの人には聞こえてるでしょ。そう説明すると(説明しなきゃいけないようなことなのかこれは?)、「何わけわからねーこと言ってんだ」と言う。
ハオウショウコウケーーーン!!!
……そりゃこっちのセリフですぜお客様。しかし彼は興が削がれたのか退館していった。GO to カラオケしてください、としか言いようがない。
その他にもヘドバンする常連もいて困らされた。前後のブースめっちゃ揺れてクレーム来るし、それなのに掛け声まで入れだすし、何回注意してもボリュームマックスにして音漏れ全開になるし……GO toライブしてください、お客様。
試聴ブースを利用するたびにカウンターに来ちゃあ小泉今日子の現役アイドル時代と、『あまちゃん』に出演した時とについて熱く語り、最後は必ずお勧めのアルバム購入を訴えていく人もいた。……GO to ファンサイトして。
とある常連のおじいちゃんはほぼ開館と同時にやってきて、必ず試聴ブースを申し込んだ。そして講義中居眠りする学生よろしく、机にカバンを乗せて顔を埋めてしまう。この際ヘッドホンはつけたままだ。
そのなんともユニークなスタイルに、何をしているのだろうと思っていると、次第に笑い声が漏れ聞こえてくるではないか。
ひっひっひっひっ
くっくっくっくっ
あひゃあひゃあひゃ
朝っぱらからほとんど妖怪である。
じい様、大の落語ファンらしく、聞いているのは昭和名人シリーズのCD。どうも笑いが堪え切れないらしく、ただ図書館で大笑いしてたら皆に迷惑だと思ったのだろう、そこでとった策が、カバンに顔を埋める、なのだ。お気遣い誠に痛み入る。でも傍目から見るとちょっと怖い……そして呼吸が心配。他のお客がカウンターに来て、あれ何してるの?と聞かれることもたまにあった。事情を説明すると大抵、なるほどなぁ、と呆れつ感心しつ、見守られていた。
悲しいかな、かなりお歳だったせいなのか、試聴ブース取っ払いよりも前にふつりとお見えにならなくなった。今でも落語を楽しんで居られたら良いなと思う。
そんな珍客万来だった試聴コーナーはもう無くなった。何故なくしてしまったのかと嘆かれる声もあった……けど、思いの外少なかった。
ちなみに撤去されたのは公共施設の改装はそうちょくちょくできないからということがある。箱物の改装なんて20年から30年に1度くらい、次の改装までCDという文化が続いている可能性は甚だ低いと予測されたためだそうな……まあ、20年後にCDで音楽を聴く文化はほとんどないだろうなぁとは思う。
しかしなくなってしまうと寂しいもので、試聴ブースでのやりとりは、あれはあれで面白かったけどなぁ、……と、思うほど偲んでもいない……トラブルのトラウマの方がよほど多いのだもの。殿、御免。
ちなみに、あまり知られていないけど図書館のCDやDVDは販売元からレンタル可として普通に売ってるやつよりかなり高額である。だから何かの折に破損したとか無くしたとかで弁償することになると目玉飛び出るような額になることもあるので、お願いだから丁寧に扱ってください。ものによっては普通の市販品と桁一つ違う可能性もあるらしいです。
1度若いお母さんが、ディスクをうっかり踏んづけて割ってしまい弁償を申し出てきたのだけれど、その旨を説明すると青ざめていったことがあった。幸い担当者が調べたら、たまたまそのCDは市販品と同額で出されているものだった。そう伝えるとホッとしてカウンターの前で安堵のため息を大きく吐いていた。ですのでゆめゆめ借りたものは大切にお願いします、マジで。
また、亡くなられたご主人の大量のクラシックCDコレクションを寄贈したいと申し出てくれたり、自分の大ファンであるナントカさんのCDを多くの人に聞いて欲しいんですと持ってきてくれたりするお客さんも居るのだけれど、レンタル許諾が出ていないものは置くことができないのです。どうか御容赦。