parachutefrog11

図書館で働く悲喜こもごもについて、虚実交えて綴ります。

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図書館で働く悲喜こもごもについて、虚実交えて綴ります。

最近の記事

図書館員、八尺様の夢を見る

 こんな夢を見た。  場所は今所属している図書館ではなく同じ自治体の本館で、時間帯は午後3時くらいだったろう。薄曇りの、夏のことだったように思える。  現実とは違って、夢の中の本館は図書カウンターが正方形の形をしていた。上から見るとちょうどロの字になっており、職員は中に入って仕事をするらしい。必然的にお客が四方向からやってくるという構造で、しかもこのカウンタースペースが広い。あっちからもこっちからも注文や質問が飛んできててんてこまいだった。  しかも、カウンターには自分

    • 図書館員、うなぎの夢を見る

       こんな夢を見た。  仕事から帰るバスの中で、今は亡き母方の祖父母と一緒だった。それぞれが一人掛けの席にばらばらに座っていると、離れているにも関わらず祖父が大きな声で呼びかけてきた。 「どうしてうなぎ屋を継いでくれなかったんだ」  乗り合わせた乗客がいっせいにこちらを見る。やはり離れた席にいた祖母が、こんなところでそんな話をしなくても良いじゃないかと祖父を諌めるが聞く耳を持たない。  どうしてだ。  どうしてなんだ。  どうしてお前はうなぎ屋を、  継いでくれなんだ。

      • 図書館員、自由研究少年少女のその後を耳にする 自由研究人生台無し編

         所変われば品変わる……世代変われば見方も変わる。そして夏休みの宿題の価値も変わる、らしい。らしい、というのは伝聞だからであって、もしかしたらとっくにそういう時代になっていたのかもしれない。そういう時代とは何かと具体的に言えば、夏休みの自由研究の発表がその後のスクールライフを大きく左右するのかもしれない時代ということである。無論、大げさに言っている。言っているけれど小学生たちは小学生たちなりに真剣なようなのだ。  というわけで、またまた自由研究の話なのである。ねずみくんのチ

        • 図書館員、雨には負けぬが水道管破裂には負け……ていられない

          『雨ふる本屋』という児童書のシリーズがある。  作者は日向理恵子さん。主人公の少女ルウ子はひろったカタツムリに誘われて図書館の中に現れた古本屋こと「雨ふる本屋」へと入り込む。そこはドードー鳥が店主におさまる不思議な本屋、書棚に並ぶ本は人間に忘れられてしまった物語に雨をかけることでできたものだという……そんなファンタジックなお話は現在5巻まで刊行されており、借りていくお客さんも少なくない。  雨の降る本屋とは実に幻想的かつ非現実的で、物語のギミックとしても読者の心を掴むのに

          図書館員、こまったさんレシピで夕飯にする

           昔々、自分が小学生だった頃、子供には子供ならではの面倒ごとがあり、しがらみがあり、因習があった。そのうちのひとつが、《男子もしくは女子における読んで良い本いけない本問題》である。男子の本、女子の本……《男子or女子のための本》というくくりと言った方がわかりやすいか……小田雅久仁氏の小説『本にだって雄と雌があります』のような話ではない。  明確にではないにせよ学校の図書室には、男の子が読む本、女の子が読む本という領域があった。もちろん学校側が決めていたわけではない。ただ空気

          図書館員、こまったさんレシピで夕飯にする

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する 〆切りギリギリと言うよりほとんど限界突破編

           気がつけば9月……学校の夏休みも終わった。今年は自治体によって最終日が違ったようで、8月31日までのところもあれば、もっと早く終わったところも、オンライン2学期なところもあるとか。  図書館はというと、うちの自治体では特に開館時間の変更もなく、夏休みの宿題に駆り出されていた(貸し出されていたというべきか)本がどやどやと返却され続けている。ゴールデンウィークの成田空港の如きお帰りなさいラッシュだ。  自由研究に使われたんだろう本の背表紙を眺めていると、キノコの研究をしたのか

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する 〆切りギリギリと言うよりほとんど限界突破編

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する いたの、いなかったの妖怪やおん(仮名)編

           子供の頃、自由研究は何やっただろう?  自分は何故か忍者の研究していたのを覚えているけれど、どうして忍者の研究なのかはとんと覚えていない……あ、思い出した。怪談の研究をしようとしたら母に縁起でもない研究をするなと止められたので、代案だったのだ。  それでは同級生たちがどんな研究をしていたかと思い返しても、これまたよくあるネタが多かったのしか覚えていない。カブトムシやセミの生態、ハーブの観察、おじいちゃんおばあちゃんの住んでいる田舎の土地についてなどなど、ネタかぶりは続出す

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する いたの、いなかったの妖怪やおん(仮名)編

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する 今夜のおかずは卵焼き編

           昔々、民俗学者の父柳田国男はとある疑問に思い当たった。日本のどこにでもいる蝸牛(かたつむり)……あれの呼び名はでんでん虫、マイマイなどと多様だが、いったいどこでその区切りはできるのだろう? 気になったら夜も眠れねぇ性分なのか、日本全国調査をしてみることにした。  ……他にやることないんかい、などと思ってはいけない。そういう「何のためにやるんだ?」的なことを大真面目にやるからこそひとつの学問の始祖として名を遺しているのである、たぶん。  そんな柳田翁を思わせる少年は宿題

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する 今夜のおかずは卵焼き編

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する どうしてそんなテーマなの編

          『つづきの図書館』という本がある。書き手は児童文学作家の柏葉幸子さん。  とある図書館で働くことになった女性司書の元へ、裸の王様やオオカミやら、本の中の登場人物たちが訪ねてくる……彼らは読者が本を広げて物語を読んでいるとき、物語の中から読者のことを見つめ返していたそうで、読者たちのその後はどうなったのだろうか? と心配していた……というお話。深淵を覗く時、深淵の方もこちらをガン見しているってFBI心理捜査官でおなじみの台詞を思い出すような出さないような。  内容的に小学

          図書館員、自由研究少年少女と格闘する どうしてそんなテーマなの編

          図書館員、怪傑ゾロリを尊敬した日のことを思い出す

           とある年の7月、世間では小中学校の夏休みが始まった日だった。当時古巣の図書館のアルバイトだった自分は、利用者が一気に増えるから児童図書の階につめてほしいと言われ、初日からカウンターで《宿題は先に終わらせる派》の子供たちと親御さん相手に自由研究や読書感想文の本探しに明け暮れていた。  昼過ぎあたりだったか、ひどくむっつりしたお父さんと、線の細い大人しそうな男の子が入ってきた。2人はそのままカウンターまでやってくるとお父さんの方が、子供向けの樋口一葉だったか平塚らいてふだった

          図書館員、怪傑ゾロリを尊敬した日のことを思い出す

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 改訂・卑弥呼様の老後編

           子供の頃に読んでた本を見つけて、懐かしいなぁ、と声を上げる人をしばしば見かけるのが図書館である。書物とはすなわち記録、想いや出来事などの時間の結晶であり、図書館とはそれらを留めおくための空間なのだとかいっちゃうと、なんか格好いい。    ところが出版された本ならばずっと中身もそのまま……と思っていると、必ずしもそうとは限らない。  そう、改定である。  文庫版や新装版が出るにあたって内容の加筆修正が行われることがあり、リクエストカードを出してくるお客さんから、新版の方を頼む

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 改訂・卑弥呼様の老後編

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 夏休みの宿題編

           七夕が終わる頃、図書館は忙しいシーズンになってゆく。小中高大学生の夏休みシーズンの始まりなのである。期末試験を抱えてる学生はわんさかやってくるし、図書館側も夏休みイベントの準備におおわらわになる。  が、ご存知コロナのおかげで去年同様、準備していたイベントの開催は雲行きが怪しくなってきた……片付けた七夕の短冊には「コロナがはやくおわって◯◯にいけますように/できますように」と拙い字で書かれたお願いごとがすずなりだったのがやるせない。何にも気にしないで過ごせる夏休みを迎えら

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 夏休みの宿題編

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 真夏のゲルググ編

           こんな本自分しか借りないだろうと思ったのに! と、予想がハズれて憤るお客さんがちょいちょいいる。  真夏の炎天下の中顔を真っ赤にしてシャアゲルググのように目尻を吊り上げ憤慨するお客さんが手汗でくしゃくしゃのレシートを見せてきたことがあった。見慣れてる書籍案内レシートなのに何か違う……なるほど、よく見れば本館で出されたものだ。  話を聞けば、新聞の書評を見て興味を持った本を探そうといつも使っている本館で検索したところ、うちの館にのみ在庫資料があると判明したそうな。そのまま

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る 真夏のゲルググ編

          「こ」は「高円寺」の「こ」、『山形料理と地酒まら』

           先日の『アメトーーク《高円寺大好き芸人》』にて『山形料理と地酒まら』が出ていてビックリ……どんなお店かといいますと、酒も美味けりゃ肴も美味い、おまけに米も蕎麦美味い、野球でいうなら打ってよし守ってよしの山形の名産品を食べさせてくれる居酒屋さんです……もちろんアルコールがあったのは緊急事態宣言前ですが。  飲みに行きたいのに飲みに行けない、そんなステイホームの苦杯を舐めさせられている全国の酒好きの皆さんお元気ですか? 人生最期の食事を選ばせてくれるならば、ざる蕎麦で日本酒を

          「こ」は「高円寺」の「こ」、『山形料理と地酒まら』

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る ワイン編

          「いつまでも あると思うな 親と金」……昔の人は含蓄のあることを言った。でまあ、当note的テーマにするとやっぱり「いつまでも あると思うな 書架の本」になる……まあ、今回泣くのはこちらではなくてお客さんの話。  コロナに揺れていた去年の、閉館期間が明けてようやく書架にお客さんも入れるようになったタイミングのこと。お酒についての本コーナーでひとりぶりぶりお怒りの男性客があった。ぶりぶりざえもんならまだしもぶりぶり言ってる人に話しかけるのは正直抵抗がある。うちの図書館に来るお

          図書館員、その本いつまでもあると思うなと語る ワイン編

          図書館員、音響コーナーを偲ぶ……いや、あんまり偲ばない

           かつてうちの図書館には視聴覚コーナーがあり、CDがクラシックから邦楽洋楽、アニソンや映画音楽、落語から稲川淳二の怪談までずらりと並んでいた もちろん《試聴》ブースも併設され、1日1時間、希望者は思い思いのCDを《試聴》できた。  何故《カッコ》つきなのか? 《視聴》ブースではなく、《試聴》ブースだからである、似て非なるものであるとわかっていただきたい。あくまで試聴なので4枚組の壮大なクラシックを序曲から最終章のアリアまでなんて聴けませんのですお客様。『フィガロの結婚』を

          図書館員、音響コーナーを偲ぶ……いや、あんまり偲ばない