自分の心から書きたいものについて
①近況報告と私的自由なお便り
10月最後の日、気づけばnoteの更新も8月くらいから止まってしまって、気づいたらあっという間に11月を迎えようとしている。SNSの更新もそういえばずっとできてなかったりする。
まぁ書きたい時に書けばいいし、更新したい時に更新すればいいやって思ってはみるものの、実にこの2ヶ月間何も書いていなかったわけではない。
私は書くということが苦痛ではないというか、むしろ書かないことが苦痛というか。クリエイターが作品を作ることが排泄行為というように、私にとっても書くことは排泄行為だったりする。
手帳に自分の気持ちを書いてみたり、ネットの世界に自分の気持ちを垂れ流したり、そんなことを高校時代から、かれこれ10年以上しているため、必ずどこかしらに何かを書いているのが癖になっているのだけど、この数ヶ月は思い立って売り物として書くということをしてみた。書く前にテーマを決めてなかったから、グダグダ近況を書きながらこれをテーマにしてみようかなと思う。
②自分の書くものもちゃんと売り物として成立する
ここ数ヶ月の発見だけれど、自分の書くものに対してペイされるということが少し驚きだった。もちろんそんな高額ではないけれども、それなりに支払われそれなりに喜んでもらうこともできた。
今はエンジニアの端くれとして、全然文章を書くということの真逆を生きているのだけれど、私は子供の時に小説家になりたかった当時の夢を思い出した。今でも覚えているけれど小学校六年生の時に埋めたタイムカプセル(掘り起こしてない!!!)に「作家になってますか?」って書いていた。
なおタイムカプセルには自分のファンタジー小説と当時イラストレータを目指していた友人のイラストつきの長編小説を埋めた。(絶対掘り起こしたくない!!!!)
「いやいや全然違いますけど・・・」by アラサーの私。
③自分の書くものくらい自分で価値を決めさせろやぁ!
かといってお金をもらってこれで食べていきたいなと思えなかったのが正直な気持ちだった。まぁ自分の排泄作業でちょっとでもお金もらったらラッキーくらいではありますが。
それはなんでなんだろうなぁと数ヶ月ぶりに乗った電車に揺られながらぼんやり考えていた今日、なんとなく思ったのはやっぱり自分の書くものはきちんと自分で書いたって最後まで言いたいし、自分で値付けや価値を決めたいなぁと思ったのだった。私が受けた仕事はこのどれにも当てはまっていなかった。
また自分自身が絞り出した言葉やメッセージの文章は、なんだか書いてつまらない。いつも気づけば何か書くときは気持ちや言葉が溢れてしまっていることが多かったな、とも。
その点noteでも今では持っていないけれど、学生時代細々と書いていたブログでも自分でその文章について価値を決めて溢れてしまった言葉を集めていたから、なんだか楽しめていたんだろうなぁと思った。
最近自分が参加している4th placeなコミュニティでもそういえば「自分で自分の仕事に価値決めてますか?」と問いかけがあった。その時はお金的な価値がメインだったけれども。
でもそれはきっとお金のことだけじゃないなぁと後から思った。
自分の書いてるものや、日頃の仕事でしていること、それ自身が自分にとって大事な意味を持っているか、その意味を自分で決められているかそんなこともこれから大事にしたいなーと思った。