「"感想文"っぽくない、"感想文"」を書くには?
生まれて初めてnoteを寄稿した。
noteを寄稿しているライターさんを見ながら、「いいな〜〜わたしもいつかnoteを寄稿したいな〜〜!」と指を咥えて見ていたので、ものすごく嬉しい。
しかも、わたしも愛用しているヘアケアブランド・ミルボンさんのnoteだ。
しかし、大喜びで受けたは良いものの、いざ原稿を書いてみると「ヤベェ、これは意外と難しいやつや」といきなり壁にぶち当たることになる。
ざっくりと言えば、ミルボンさんが「『ショートフィルムを観た感想』をみんなから募集し、素敵な感想を書いてくれた人にはプレゼントをするよ〜! 」というキャンペーンをやるのだが、そのトップバッターとしてわたしが「ショートフィルムを観た感想」を書くということだった。
つまり、これから応募する人は、(おそらく)わたしのnoteを見て「こんなふうに書いたら良いんだな」と参考にしてnoteを書くはず。
いやめっちゃ責任重大じゃんけ。
「感想」というのは十人十色だ。同じムービーを見たとしても、「いいね!」と思う人もいれば、「クソやん」と思う人もいる。だから、自由に書いても内容がまるっきりかぶるということはない。そこは安心していいポイントだ。
一方で、「感動しました!」「楽しかったです!」という感想だとちょっぴり味気ない感じもする。でも、自分には大した語彙力もないし表現力もないし…ってときに使えるのが自分の実体験である。
自分だけが持っている体験と絡めれば、「感想っぽくない感想」ができあがるのだ。
たとえば、犬との友情を描いた映画があったとする。その感想として、「この映画を観て、犬とも友情は築けるのだと知って感動しました」と書けば、それは感想文だ。
一方で、「わたしには、かつて友人のように仲が良かったチワワ、ヒロシがいた…」とガッツリ自分の体験と絡めて書いてみると、驚くべきことに文章内に「感想」という言葉や、具体的な映画名すら出さずとも、立派な1本のエモエモな記事が書けてしまったりする。
もちろん、感想文とわかる感想文だっていいけれど、感想文とわからない感想文もまた、味があってわたしは好きなのである。
映画を観たり本を読んだりしていると、たまにボヤ〜と自分の過去の体験と重なってくることがある。青春感溢れる文化祭のシーンを見て、「全然自分が体験した学園生活と違うんですけど????」と文句を言いたくなることもあれば、失恋のシーンを見て、なぜか自分の推しがアイドルを卒業したときのことを思い出すこともある。
そうやって作品を観て想起された超個人的なエピソードを入れると、ひと味違った感想になるんじゃなかろうか。
そんなわけで、下記のnoteでは、あえて「ショートムービーを観て」という言葉を入れずに書いてみた。「ブスと言われた経験」を掘り起こすことで若干身を削ったが、届く人に届いてくれたら嬉しいな。
そして、「感想文とわからない感想文」のおもしろいところは、該当作品を見たときに、ちょっとしたAHA体験が起こることだと思う。ちなみに、わたしが観た該当のショートムービーはこちら!
これを観て、なぜわたしが「ブスと言われた」実体験をnoteを書こうと思ったのか、想いを巡らせてみるのも面白いかもしれない。「そういうことか!」と気付いたら多分、AHAが起こるはず。
ちなみに、これは10分程度の動画だが、うっかり湯船のなかで観ていたら泣いちゃったぐらい、ガンガン心に訴えかけてくるタイプのムービーなので、みんな電車のなかで観ちゃダメよ!
そして、もしも感想を書いてみたいと思ったら、「#ミルボン」「#MILBON_BEAUTY_AWARD」のハッシュタグを添えて、Twitterやnoteに投稿してみてください。ヘアケアアイテムやアマギフが当たるかもしれない。
ちなみにわたしも審査員を務めています。(ドオン)(最後に言うな)
2022年6月16日~2022年6月30日の2週間限定なのでぜひ。ミルボンのシャンプーは本当に髪の毛サラッサラになるのでわたしもほしいんだが、今回は泣く泣くみんなに譲ります。
みんなのnoteを読むのを楽しみにしております!
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