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「笑っていればそれでいい」と思えたなら
本当の愛とは何ぞや、という取材をしたときに、「相手が幸せならそれで良い、たとえそこに自分がいなくても」と思えることだ、と言われた。
「自分がその人を幸せにしたい」と思っている段階では、本当の愛ではなく、独占欲のようなエゴが入っていたり、結局自分本位だったりする。
一方で、真実の愛というのは、別に自分と一緒にいようがいまいが幸せならそれでいいんじゃない、と思えることである。
この感覚がずっとわからないでいた。
だって、相手が幸せでも自分が幸せじゃなかったら幸せじゃないかもしれないし。
「あなたが笑っていたらそれでいい」なんてとても綺麗ごとな気がするし。本当に笑いたいのはあなたなんじゃない?なんて意地悪な質問をしたくなってしまう。
でも、そういった気持ちは本当に存在していたのだ。
たとえば、わたしには親友がいるけれど、最悪彼女がわたしのことを嫌いになっても離れてもそれで幸せならいいな、なんて思えるくらいの間柄になってしまった。
何なんだろうなこれは。
大切なんだけど放置しているような、放置しているんだけど大丈夫と思えるような。
わたしは、好きというのは態度や言葉で示さないと伝わらないものだと思っていたけど、何もしないのもある意味で愛なのだと思った。
別にその人のことを100%知らなくても、その人がやっている活動をすべて追いかけてなくても、別にその人がこちらに興味がなくても。
そんな、見返りを求めない人に会えることは幸せだなと思うし、見返りを求めているうちは、なーんか違うのかなーって思ってしまう。
本当に好きだったら、どうだって良くなってしまうのだ。
別に友情や恋愛に限らず、趣味だって仕事だって、こちらに何の見返りがなかったとしても、向こうが喜ぶことが幸せなら、やったろうと思っちゃうよね。
別に何のメリットがなくても、何も返ってこなくても、それでもいいと思えるもの。
そんなものってあまりないから、出会えたら大事にしてほしい。
なかなか出会えない、尊いものだと思うから。
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