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誰もハッピーにならない質問ならしないほうがマシ
すごくどうでもいいことを聞かれることがある。
例えば、わたしのこの「永遠の17歳」という代名詞について。
絶対にとは言わないが、まぁまぁ言われる言葉がある。
「本当はどうなの?」
という一言だ。
別にわたしはもう慣れっこなので何とも思わないし、まぁ一般的な感覚を持ち合わせていたら真実を知りたいのもわかる。
ただひとつ、何も考えずにこれを聞いてしまう人は超残念だな、と思う。
「質問のその先」が想像できていないからだ。
「え〜本当に17歳だよ!」
「ん?本当ってなんのこと?」
「…本当は50歳なんだ!」
このどれを言おうが、多分反応は大して変わらないはずである。
そうなんだー、ふーん、えぇー⁉︎ のどれかで終了だと思う。
要するに、これは「してもしなくてもいい質問」なのだ。なんなら、わたしにとっては
「答えたところで相手が喜ぶわけでもなく、自分にメリットもなく、なんか晒されるだけ」のマジで誰もハッピーにならん質問である。
※あっ、ちなみに特定の誰かに言われたわけじゃないよ。よく言われるよ。相手が無意識になんの悪気もなしに聞いてることも知ってるよ。怒ってないよ。(念のため)※
そして、これは、わたしが普段本業でやっている取材にもちょっと通ずるものがある。
この質問をすれば、きっと相手は喜んで話してくれるだろう、とか。この質問はきっと相手を傷つけるからオブラートに包もう、とか。
質問する側はいろいろと思考をめぐらせ、想像を働かせ、相手が気持ちよく言葉を紡げるように導線をはる。
それを意識しているからこそ、より強く思う。
誰もハッピーにならない無駄な質問をするくらいなら、口を噤んでいるほうがマシだ。
これは質問に限らず、すべてにおいて言えることだと思う。
何をしたら相手が喜ぶのか。
何をしたら相手が悲しむのか。
そんな想像をちょっぴりでもすれば、不用意に相手を傷つけずに済むのに。
何より、誰かを傷つけないことは自分のためでもある。
だって、人はちょっと傷ついたとしても、
「あなたのせいで傷ついたよ」
なんてわざわざ教えてくれない。
その代わり、
「この人イヤだな」
という気持ちが少しずつ積もっていく。
万人に好かれろとは言わないが、それを繰り返せばきっとあなたは生きづらくなってしまう。
ほんのちょっぴりでいい。
相手のために、質問をしてみよう。
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