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「死にてぇ」というのは当たり前の感情だと思っていた

「死にてぇ」と何度も思ったことがある。

別になにかに絶望したとか、ショックな事件が起きたとか、傷つけられたとかではない。

ただなんとなく過ぎる日々のなかで、ぼんやりと「死にてぇな」と思うのである。自分を殺そうと試みるわけでもないんだけど。

「口先だけ」と言われればそれまでだとは思うけど、「この先生きててなにかスペシャルに嬉しいことってあるのかしら」と考えると「いや、ねぇな」と思ってしまうのである。

たとえば、「人生でいちばん嬉しかったことは?」という質問に答えなければいけないとしたら、それはきっと「すごく好きな人と付き合えたこと」なんだろうけど、結局その人とも別れてしまったので数年後には「人生でいちばん悲しかったこと」に分類されてしまっていることに気付く。

大学に合格したときも嬉しいことには嬉しかったけど、「まぁいっぱい勉強したからそりゃ受かるよ」程度の喜びだった。

あまりに幸せな人生を送りすぎて、「生きることの喜び」みたいなのを未だに実感できずにいる。

どうせうちらは、仕事して、遊んで、誰かと一緒になって、家族を作って、死ぬ。

自分の遺伝子を残して育ておわったら死ぬと考えると、動物と同じことをしているだけだなと思うし、残さないなら残さないで、なにか仕事で成果を成し遂げて未来につないでも、その未来に自分がいないのなら虚しいじゃないかと考えてしまう。

わたしは誰よりも幸福な星のもとに生まれている。両親や友人や仕事にも恵まれ、愛されながらぬくぬくと育ってきた人の口からよもやまさか「死にてぇ」という言葉が出てくるとは思わないだろう。

最近『トイストーリー4』をあらためて観た。フォーキーというプラスチックのフォークで作られたおもちゃは自分のことを「ゴミ」と信じて疑わず、ウッディたちが何度連れ戻そうとしても、何度も何度もゴミ箱へと向かっていく。

「お前は大切なおもちゃなんだよ。俺よりずっと大切にされている」

そう説かれても、何度も何度もゴミ箱に向かう。まるで自分のようだと思った。

どんなに「自分は幸せだ」と納得させても、思ってしまうものは仕方がない。

幸せとはきっと、何かを失って始めて気付くものなのだ。

「あぁ、あのころは幸せだったんだな、と」

実家でまるまる1ヵ月家族と過ごしてみて、そんな走馬灯が駆け巡る瞬間が訪れた。

「花火がしたい」と母が言うので、庭に出てテーブルの上に花火を並べた。正直うちの家族は母以外は口数が少なく、活発でもないのだが、こういうときは反発することなく素直に参加する。

ローソクの火が小さすぎて役に立たないので、急いで隣の人から火をもらい、花火を繋いでいく。

住宅街のなかで、うちのまわりだけまっしろな煙が立ち込めて、そのなかで大の大人が4人、みんな両手に花火を持ってブンブンと弧を描くように振り回しているのはすごくシュールだ。

最後の線香花火の段階になって、それまで興味を示していなかった父が、俄然やる気を出し始めた。

線香花火を3本合わせてねじり、特大線香花火を作る。火の玉が重なって大きな玉となる。それがプルプルと震えて落ちるたびに、「あぁ!」とみんなで声を漏らして悔しがった。

そんなことを思いながら最後の線香花火に火をつけて、しゃがんでパチパチと弾けるオレンジの玉を見つめながら、ふと「この瞬間は尊いな」と思った。

あと何回こうして花火ができるんだろうかとか、そもそも母がいつまで「花火やろう」とはしゃいでくれるんだろうとか、それまでこの家はあるんだろうかとか。

おわりはまだ先なのかもしれない。でも、花火が消えておわりが見えた瞬間、「死にてぇな」という感情がほんの少し薄まるのを感じた。

思えば「死にてぇ」と思うのは若いときのころが多かった気がする。今の状況が楽しくなくて、未来に希望が見えなくて。

でも、平穏な暮らしに「おわり」が見えてしまったのなら。「死にてぇ」は「生きてぇ」に変わるのかもしれない。

歳を重ねるごとに「死にてぇ」は薄れていくんだろう。

最高の人生の楽しみなんてなくても、あたりまえの普通がいつか壊れていくことを知ったら、まだ生きていたいなと思うのだろう。

きっとそれはいつか突然来る。だから、まだまだ死なずに自分の人生をじっと見守りたい。答え合わせは死んだあとかもしれないけど。

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