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“可処分時間”は余らせるぐらいがちょうどいい
「次に奪われるのは耳」と言われて数年経ち、clubhouseが流行って「可処分時間がなくなる」と言われ、ここでわたしは
そもそも可処分時間ってなんなんだっけ。
…と思って調べてみた。
もともとの語源は可処分所得。個人収入から税金や保険料を引いた、自由に使えるお金のことだ。
では、可処分時間はなんだろう。
可処分所得と同じ定義なら、自由に使える時間のことを指す。
調べてみると、”睡眠や食事、仕事、家事などの生活を維持するのに必要な時間を除いた残りの時間”と出てくる。
時間は、本来自由にデザインしていけるものだ。生活を維持するための食事はアニメを観ながら摂ることもできるし、家事は家電で自動化することもできる。サウナに入りながら仕事のことを考えるときもあるし、仕事をしながら雑談をすることもある。
そうなると、私たちが抱えている時間のほとんどはもう可処分時間みたいだ。
そして、わたしはこの「可処分時間」という言葉があまり好きじゃない。たぶん、字面だ。処分できる時間という字面。
処分には「物事の扱いを決める」という意味があるけど、「捨てる」「始末」するといったネガティブな要素が強くあるように感じてしまう。
英語だと「disposable time」で、台所にある野菜クズを粉々にするディスポーザーを思い出してしまう。
まるで、余っているから消費しなくちゃいけないような言葉。
生きていくために必要な時間は人それぞれだと思うけど、自由な時間があるのなら、それは楽しいことに使ったほうがいい。
自分の心からの意思で選んでいるのなら、それはきっと「可処分時間を奪われてる」ことにはならず、「自分の時間を自由に使っている」とポジティブに変換できるはずなのだ。
前に、「サウナに入っているとき暇なのですが、何をすればいいですか?」と聞かれたことがあるけど、何もしない時間があってもいいと思う。
サウナで汗が伝うのを感じたり、壁のシミを見つめたり、休日は何をしようかと考えたり。
たっぷりの時間があるって幸せなことじゃない。
わたしは無理に処分しなくても、ちょっと余らせておくぐらいでちょうど良いと思う。
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