光に照らされると死にたくなる。自分が圧倒的隠キャすぎて嫌気がさしてきた
まずい。このままだとストレスで死んでしまうかもしれない。
数日間部屋に引きこもり、電気ケトルにレトルトの袋をぶち込んであたためて食うという男子大学生がやるかやらないかのギリギリのラインを攻めるぐらいのことをやってしまった。
ごはんが食べたい。でも誰にも会いたくない。誰かと話すぐらいならボコボコ沸騰してお湯を飛び散らかしてるケトルで頑張ってコーンスープをあたためてやる!!!!!!!!!
ぐらいのメンタルで引きこもった。
ソーシャルアパートメントに引越してきて3ヶ月が経ったけど、わたしのことをよく知る人ほど「本当に大丈夫??????」「いや血迷いすぎじゃね???」「てかよく3ヶ月持ってるね???」と心から心配されていた。
その心配は正しい。わたしは自分が思っている以上に繊細な人間だったらしい。
もはや笑う元気すら起きず、誰にも見つからないようにコソコソとエレベーターに乗ったり、誰かが目の前を歩いていたら歩みを遅くしてかぶらないように努力を重ねている。
さらに、通っているジムや整体などでは、「日常的に人と接することを頑張っているからこそ、貴重なオフでスイッチ入れたくねぇ〜」と、話を振られても秒で終わるように短い回答を心がけたり、必要以上に笑わないようにしている。
…ぐらいの省エネっぷりである。本当に自分が思っている以上に消耗しているみたいだ。この鬱屈とした気持ちには3つ理由があると思っている。
ひとつは、自意識過剰から来る気疲れだ。
自分は人と向き合うことが苦手なのだと思っていたのだけど、どちらかというと「人の視線」が苦手なのだと気付いた。
たとえば、ごはんを食べているとき。友人の前では大きな口を開けてカレーを頬張っていても気にならないが、複数人が自分の食事シーンを見ているかと思うと萎縮して少食になってしまう。自意識過剰なのである。
誰も見てねーよと思うかもしれないけど、目線を上げたら目が合っちゃいそうなぐらいの距離で生活しているからこそ、カフェなどでの食事とはまた別物だと思っている。絶対見てるだろ。なぜならわたしもまた、見ているから。そう確信が持てる。
私は納豆が好きなのだが、納豆を食べてるシーンなんてどう考えても美しくはならないので誰にも見られたくない。でも納豆が食べたい。しかもガツガツと。でもそれができないジレンマである。
料理を作っているときも、「えっ、なんかこの人ヤバいもの作ってるんですけど…」と思われるのも嫌だし、「包丁の使い方下手くそすぎん?」と思われるのも嫌だし、「何作ってるの?」と言われたときのうまい切り返し方に悩む。
という会話をシミュレーションしてみるが、それ以上の広がりを見せないので、そもそも会話が始まらないように料理をすることを放棄した。今では誰もいない時間を狙ってこっそり作っている。
そんなわけで、お料理シーンを人に見られるのも嫌だし、作ったもの(そして雑多に盛り付けられたもの)や食事シーンを見られるのも嫌なのである。そこには変な緊張感が漂っている。
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