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「そのままの自分」を好きになってもらうこと

いつもどこかで苦しさを抱えていた。

それはたぶん、無駄にがんばりすぎちゃうからだ。

別にいつも笑っている必要なんてないのに、「いつも笑顔で元気よく」みたいな小学校のポスターを鵜呑みにした。

そうしないと友だちができないんじゃないかと思っていた。思い込みって怖い。

誰かに「合わせる」のが当たり前だと思っていて、知らない話題はすぐに吸収するようにした。怒っていたら合わせて怒った。おなかすいてなくてもごはんを食べた。

そうしないとなんかいけない気がした。家での自分はとてもじゃないけど友だちに見せられるものではなく、「友だちの前だけ愛想がいいんだから」と家族に揶揄された。

しかし最近のわたしはクッソテキトーである。

疲れたら帰るし眠たかったら寝る。会いたい人にだけ会って、やりたいことだけやる。

なんかもういいやって思えたのだ。誰からも好かれなくても。

結局、嘘を重ねてできた関係は嘘で、ありのままぶつかった関係が本当。

そうやって吹っ切れてからは逆に「好き」と言ってもらえることが増えた。

ふしぎ。

価値は、何の価値もないと思い込んでいた本当の自分にあったのかもしれない。

煌びやかな肩書きでもなく、つくった笑顔でもなく、飾られた言葉でもなく、そのまんまの自分を好きになってもらえるってしあわせだ。

晒すまでがいちばんこわいけど。

ずっと力の入ってた場所が、ふにゃふにゃんと音を立てて崩れたら、ちょっとだけ自分のことを好きになれるかもしれない。

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