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確信した。鋭い言葉は人を秒で殺してしまう

本が書店に並んだ初日。わたしはソワソワしていた。

ちゃんと届くべき人に受け取ってもらえるだろうか。ちょっとでも良かったと思ってもらえるだろうか。

もともと人にお金を払ってもらうのはすごく苦手だ。

ライターとしての仕事なら、相手から依頼してもらえるし、こちらはリクエストに応じてできることをすればいいから抵抗がない。でも、自発的となればそれは別。

だから、ライブ配信もやめてしまったし、「自分の商品」を持つことなく過ごしてきた。

そんな自信のないなかで、せっかくお金を払ったり、予約してくれたりした人のことをがっかりさせたくない。どうか一文だけでもいいから届いてほしい……

と祈るような気持ちでいたところに、立ち読みをしてくれた人たちからの辛辣なAmazonレビューが飛び込んできた。

別に罵詈雑言を浴びせられたわけでもない。誹謗中傷にもならない「いち感想」だと思う。「大学生の日記みたい」とか(笑)。

これが、元気なときだったら「えぇ!大学生の日記みたいですって! 中学生でも理解できるようにやさしく書いたので嬉しいです〜〜!」とポジティブに受け止められるんだけど、今日はそれがなんだかグッサリと胸に刺さってしまった。

Twitterのフォロワーさんや友だちは嬉しい感想をたくさん言ってくれているのに、たった2人のその感想だけで一気に食事が喉を通らなくなる。こんなに祝福ムードのなかで、まさかそこまで落ちているとは誰も夢にも思わないだろう。

でも、わたしもこうなると思ってなかったんだよ⁉︎

出さないほうがよかったのかなぁ、とかもっと砕けずに真面目に書いたほうがよかったのかなぁ、とか、ぐるぐると考えて眠れない。

拒絶というのはここまで辛いのかと思ったと同時に、「本当に誹謗中傷は人を殺してしまうのだ」と確信した。

大勢いるなかのたった2レビューでこの様である。芸能人はもっと数えきれないほどのひどい言葉をたくさん言われてきたんだろうと思うと泣いてしまう。

作品はおろか、存在そのものも否定されること。言葉を投げる側は1ミリも想像しないと思う。無理もない。想像できない。だってこれは一度やられてみないとわからないことだ。

もちろん今までだって怒られてきたことはたくさんある。声優の勉強中には信じられないくらいのショックな言葉を言われたこともあるし、営業時代は厳しく当たられたこともあるし、そういうことは慣れているはずだ。

何なら企業のSNSも運用しているので、きったない言葉も散々目にしては胸を痛めてきている。叩かれ耐性は他の人よりはあるはずなのだ。

でも、顔の見えないまったく知らない人から自分が苦労して産んだものに対する言葉だからこそ応えるものがあった。

なっ、なにも知らないくせに……!!っていうか…誰やねん!!!と頭ではわかるけど傷つくもんは傷つく。失恋を何度しても慣れないのと同じだ。

うんちを拾ったら捨てればいいのに、「はいどうぞ」と渡されてしまったような心地。(汚くてごめん)

母に泣きついたら「お母さんもAmazonレビューなんて書いたことないけど、よくわざわざ書いたねぇ」と感心していた。感心することちゃうけどそれな。

通常自ら表に出なければ、こうして何かが飛んでくることはない。でも、それが怖いからと裏に引っ込んでやりたいことがやれないほうがもっと嫌だから、こうして今も赤裸々に思ったことをそのまま書いている。

なによりわたしは書籍のなかで「叩かれるとか、怖がらずに自由に書いていいんだよ」と書いたので、わたし自身がそれを実行しないでどうするんだ、と思う。

書くのは勇気のいることだ。でも、書くことで得るもののほうがずっと大きいから。

せっかく言葉を扱えるのだから、ちゃんと言葉を選んで、人を刺すのではなく、ほっこりさせることに使いたいなと思う。

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