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あなたの日常は、ありふれてない
自分の好きなものや自分の職業、自分の強みを肩書きとして発信している人が多いなか、私の発信スタイルは「自分の人生を切り売りする型」だ。
要するに、「日常をコンテンツ化」するというもので、それはライフステージによって変化していくものでもあるし、何なら昨日と今日とで発信するものが180度違う、という場合もある。
この、「自分の人生を切り売りする型」は非常に磨耗する発信スタイルでもあると同時に、もっともラクな発信スタイルでもある。
人生を切り売りする、というと、ものすごく数奇な人生を送っていたり、漫画のようなスリリングな毎日を過ごしていなければいけないようにも思えるがそんなことはない。
たとえば、私が発信しているのは、ものすごく「日常」である。
とある映画を観て何か感じたことがあったとしたら、それを感想として発信するのではなく、何か誰かにとっても学びのあるような形にして発信したりだとか。
たとえば、シンガポール旅行について調べていたとき、「公共機関にドリアンを持ち込んだら罰金」「道端に唾を吐いたら罰金」みたいな面白い罰則事項があったのでそれをおもしろおかしくまとめて発信したりだとか。
別に、何ということはない。
それなのに、「勉強になりました!」と言われるから不思議だ。
ただの日常でも、やり方によってはすごく面白く発信することができるし、時として有益な発信にもなるのだ。
そもそも、あなたの日常は「普通」なんだろうか。
たとえば、会社員として働いている人たちがいたとして、その人の日常はその人にとっては当たり前でありふれた日常だったとしても、会社員をやったことがない人にしてみれば、未知なる面白い日常に見える。
それに、同じ「会社員」としても、まったく同じような毎日を送っているとは限らないだろう。
つまり、「普通」の人生を送っている人はいないのだ。
誰かにとっては面白くて、タメになって、不思議な日常。
そう考えると、何もかも発信してしまえば、ちゃんと「コンテンツ」として成立してくることがわかってくる。
あなたの日常は、誰かにとっては「ありがたい」日常。
自分の日常を「ありふれた日常」と決めつけているのは他ならぬ自分自身でしかないのだ。
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