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何度世界から消えたとしても
思えば、送別会の多い人生だった。
アメリカという場所柄、転勤族が集まっていたので、毎月のようにお別れをしていたし、帰る場所も日本の、東京ではないところだったりするので、「また会えるよね」ともあまり思えなかった。
現地の子もそうで、みんな進学と同時にアメリカ中に、あるいは世界中に散らばっていって、今やどこにいるのかもわからない。
何だか、送別会があるたびにふわふわとした。
はじめこそ、悲しくて辛くてめちゃめちゃに泣いていたけれど、繰り返されていくうちに鈍感になっていった。
「連絡してね」なんて言葉を言うけど、どうせ最初は続くやり取りも、いずれなくなっていくことを知ってしまった。
なので、そのうちに「もう永遠に会えないんだろうな」くらいの気持ちでいるようになった。
ましてや、転勤なんて自分の力ではどうすることもできないし。
そうやって、「どうせいなくなってしまうのだ」と考えると、なんだか丁寧に人間関係を紡いでいるのが虚しくなって、一時期ものすごくテキトーに接するようになっていた。
それは、自分もそうで、「どうせいつかは日本に帰るのだから」なんて心のどこかで思っていた気がする。
誰かが消えても、自分が消えても世界はまわる。
寂しいけどそういうものなのだ。
でも、ツイッターで、海外を飛び回ってはたまに日本に帰ってくるような旅人がとても多いことを知って、びっくりしたし、飛行機にたくさん乗ってみると、あんなに遠いと思っていた世界は意外とそこまで遠くなかった。
離れてしまうことが怖いと泣いていたのが嘘みたいに。
今度、5年ぶりに海外から友だちがわたしに会いにやってくる。
一度は自分の世界から消えてしまったとしても生きてさえいれば、いつか会えるんだ。
世界は広いけど、「会いたい」と思えばきっと会える。
いつか「もう会えないだろうな」と諦めてしまった人にも、いつかまた会えるといいな。
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