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「変わらないもの」はないのかもしれないけど
私の好きな曲のなかに、奥華子さんの「変わらないもの」というものがある。
内容としては、変わらないものを探している…という歌詞が続くのだが、思春期だったわたしはこの歌にものすごく感銘を受けた。
「変わらないもの」ってなんだろう?
とものすごく考えたのだ。
当時はブログにかなり力を入れていて、自分の読者になってくれた人のブログは毎日のように巡回していたし、コメントを、付けあったりして楽しんでいた。
でもそんななかでも、ある日突然、ブログ界隈から姿を消す人がいた。
リアルが忙しいのかしら、なんて思ってみていたら、結局そのまま二度と帰って来なかったりして、その度によくわからないけど、ぽっかりと穴が空いたような感じがした。
同じように、当時わたしには仲の良い友達がいたのだけれど、ヲタクでアニソンばかり聴いていて、いつも楽しそうにわたしにアニメの話をしていた彼女が、ある日突然「アニメに興味がなくなった」とパッタリとアニメの話をしなくなったことがある。
わたしは絶望した。
ずっと一緒にヲタクでいようって言ったじゃん。
ひとりで観るアニメはつまらなく映った。もう彼女とアニメの話ができることは二度と来ないし、アニメキャラに萌える彼女の興奮した姿は見られないんだ。
昨日まで当たり前だったものが、今日はない。
そのときに、わたしは「変わらないもの」でいようと決めた。
どんなに、生活や付き合う人が変わっても、わたしだけは変わらない存在でいよう。
ブログに疲れた人がまた戻ってきても、友だちのアニメ熱がまた復活しても、そのときに受け止められるような「変わらない」自分でいようと。
その決意をした日から、結局わたしは「変わらない」存在でいられたのだろうか、と言うと自信がない。
当時書いたブログには、「わたしは一生変わらない。右の前髪にピン留めをつけて、ずっとヲタクで」なんて書いてあるが、すでにわたしはパッツン前髪にしているし、ヲタクかと言われるとちょっと違う存在になっている。
結局、わたしも「変わらない」存在にはなれなかったのだ。
先日、いつも行っているカフェに「閉店のお知らせ」が貼られていることに気付いて胸がぎゅっとなった。
わたしたちはどうして、自分の意思とは関わらず変わってしまうんだろう。
どうして久しぶりに会ったときに同じような笑顔で笑えないんだろう。
どうして、思い出のなかの景色と、今目の前にある景色は違ってしまうんだろう。
「変わらないもの」は、アニメ映画『時をかける少女』の主題歌だった。
時をかける、というのはそういうことなのかもしれない。
「変わらないもの」なんて存在しない。景色も人もめまぐるしく変わっていく。
でもそのなかで、たとえわたしの好きなものは変わってしまっても、核だけはせめて残るように発信するしかない。
「まだ17歳なんだね」なんて中学生のころの友人に言われたけど、もうわたしにはこれしか守れる約束がない。
変わらないものはないけれど、変わりゆく世界に抗えるものを持っていたい。
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