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そもそも、「失う」ものなんて何もないのだ
海外旅行中、別にめちゃくちゃ暇というわけではないけれど、観光が終わって部屋でひと息吐いているときとか、飛行機を待っている時間とか、バス移動中とか、日常にはないような変な時間が落ちているので、いろんなことを考えている。
今日は、「失うもの」について考えていた。
航空会社によっては、液体物の持ち込みが厳しすぎて、「このスモールバッグに入らなくちゃダメよ!」と言われたりするので、すでにわたしはいくつか持ち物を没収されてしまった。
旅行のためにAmazonでポチった液体洗剤。硬水に耐えるべく持ってきたヘアオイル。紫外線対策で持ってきた日焼け止め。
あとは没収されてはいないけど、普通に失くしたApple Pencil。アイマスクのケース。バスタオルが入っていた袋。友だちから譲り受けたヘアゴム。(ごめんよ)
それらを失ったとき、わたしはものすごく嫌だった。
まだ大して使ってないのに! と怒ったし、そこそこ高価なものだったのに! ともう一度買わねばいけないことを考えて溜息をついたし、リュックのなかにぽっかりと空いた隙間は、わたしの心に空いた穴のようだった。
でも。
「失った」とは言いつつも、そもそも2ヶ月前のわたしは洗剤やらヘアオイルやらを所持していなかったわけだし、Apple Pencilも2020年に買ったものだし、本来のわたしはこれらの持ち物を持っていなかったわけである。
持っていなくても、普通に元気に生きていたわけである。
一度所持してしまったことで、それを失くしてしまう「悲しみ」がついてくることになってしまったけれど、本来はなくても大丈夫だったはずなのだ。
そう考えると、ちょっとだけ前向きになれるし、根本的には「失う」ものなんて何もないんだな、と思えるような気がする。
執着を手放すと言うのかな。書きながらすごい仏教みたいな感じになってきた。仏教勉強したことないので雰囲気だけで言っているけど!!!
これはモノに限らず、人間関係にも同じようなことが言えると思う。
かつては仲良しだったけど、今は疎遠になってしまった友人。別れてしまった恋人。だんだんと一緒に仕事をしなくなっていった仕事相手。
それは「失ってしまったもの」かもしれないし、「そもそも手に入れたと思うなんて烏滸がましかったもの」だとも思うし、「失くしたと思ってたけど、今後別の形で繋がるもの」かもしれない。
失くした瞬間は、「失くしちゃったなぁ」と喪失感を覚えるかもしれないけど、自然とその穴はうまっていくと信じたい。だって、本来わたしは何も持っていなかったのだから。
現に今、わたしのリュックははち切れそうになっている。旅先で、新しいものを手に入れたからだ。
サウナアロマ。いい匂いの香水。かわいいワンピース。
あれ、意外とそんなに買ってないな。それでもリュックはパッツパツである。何が詰まってるんだかわからないけど。
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何か失くしても、その隙間にきっと、新しいものがはまっていく。
だから、失くしものはない。循環していくだけなのさ。
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