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もう私たちは選べるのだから
ほぼ徹夜に近かったこともあり、今日は1日だらりとしていた。
3年前に先輩に勧められても「へぇ」と流していた『キングダム』をやっと10巻まで読んで、面白いけど戦が多すぎてわからんと頭を抱えた。
気になっていた『恋と嘘』は可愛いイラストとは裏腹になかなか考えさせられるものだった。
「恋愛する相手」が遺伝子の掛け合わせによって政府に決められ、16歳の誕生日に通知が来る、というのが基本的な世界設定だ。
その「規定」のなかでもがく主人公を見ながら、ふと気付いたらわたしは「選べる」ようになったな、と思った。
小学生のころから主張するのが苦手だったわたしは、友だちの誘いを断ることができなかった。
だから、何回か約束をドタキャンされても「まあいいか」と思って許していたし、「友だちを切る」なんて考えが浮かんだこともなかった。
食べものもそう。食育に力を入れていた家庭なので基本的に好き嫌いは許されなかったし、鼻をつまんで梅干しを飲み込んだ記憶がある。(あまり意味がないけど)
学校はどんな理不尽なことがあっても休まずに行くのが当たり前で、毎日出る宿題もきちんとこなすのが当たり前。
暗くならないうちに帰る。ゲームは1日30分。漫画は禁止。門限は守る。テストは良い点を取る。良い学校に入る。
それにも大して疑問に思わずに、せいぜい「うちは厳しいんだな」くらいにしか思っていなかったけど、時折「選択を怠る」クセが抜けない。
今思えば約束をただ守ることは楽だったのかもしれない。
だから、選択肢が用意されていても、無難なものをつい取ってしまいがちだ。
フリーランスになって、毎朝「さて、今日はどこに行こうか」と考えたとき、いつも同じカフェを選んでいた。特に意味もなく。
でも今日は、外に飛び出して、はじめて「パソコンを開かない」という選択肢を取った。
やりたいことを、自分で選んでいいのだ。
漫画を読みたいと思ったとき、漫画を手に取ることが許されるのだということにまだ慣れない。
誰に言われるでもなくやることは、楽しいのだと知った。
たまに、悩み相談を受けることがある。
「親もこっちがいいと言ってる」「この道のほうが安泰なのはわかってる」
そんな言葉を見るたびに思う。
もう私たちは門限が決められている小学生じゃないのだ。
規定のないなかで、自責を持って選ぶことは怖いけど、一度選んでみたらきっと何とかなる。いや、何とかするしかない。
もう自分は選べるのだということを思い出してほしい。
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