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「自分のための日記」は「誰かのため」になるのです

3年前からわたしの日記を読んでいるという古参の方からnoteという名のお手紙をもらった。

書いたものをすぐに公開できるようになったのって、割と最近の話である。

じゃあそれまで文章を書く人たちはどこで何をしてきたのかというと、やっぱりひとりで文章を書いていたのだろう。

今日は広島県生口島の瀬戸田にある平山郁夫美術館に行ってきた。

そこには日本の画家である平山郁夫さんが夏休みや冬休みのたびに描いていた絵日記が展示されていた。クレヨンで鮮やかに描かれた日々の記録。

まさか当時の彼は自分の絵日記がこうしてオープンな場で展示されるとは夢にも思わなかったことだろう。

戦時中の中学生のときには、空腹を凌ぐために描いていたという作品がいくつも展示されており、歳を重ねるにつれてどんどんと上達していくのが見えた。

ざっくりと描かれた瀬戸田海辺のスケッチも、絵日記も、見せるために描いているものではないのだろう。

描きたいから描いている。それが嵩じて画家になり、それが世界に与える意味を悟り、発表するようになっていった。

創作をしていると、忘れてしまいそうになるけれど、それが1番大切な気持ちだ。

さっき、愛媛から飛行機に乗って帰ってきて、今こうして家に向かう電車でつらつらと綴っている日記も、書きたいから書いている。

わたしの帰るべき家は成田空港から2時間30分もかかるので疲れすぎて眠すぎて何を言っているのかよくわからないが、きっと誰にも読まれなくても手を止めることはないだろう。

でも、それが自分の意図せずして誰かのためになることを知ってしまったから、こんなまとまりのない言葉もどんどん晒してしまう。

「こんな駄文の日もあるんだね」と思って安心してもらえるかもしれないし、「平山郁夫さん」に興味を持ってもらえるかもしれないし、読者に何を与えるかはわからないものだからね。

自分のために書いて、あわよくばそれが誰かのためになる。

それを繰り返しながら歩いてゆきたい。そして限界が来たので寝ます、おやすみなさい。

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