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ロジカルとエモのバランスを取りたい

「ロジカル」という言葉を知ったのはおそらく社会人になってから。

「それは感情論であってロジカルじゃない」

なんて言われて、え、逆に感情以外に何があるの?と驚いたのを覚えている。

悲しいから悲しいと言う。嬉しいから笑う。そこに何が特別な説明がいるだろうか。

わたしは「はじめてのおつかい」が好きで、毎回おつかいをがんばる子どもと自分を重ねて泣いてしまうのだが、そこに理由なんていらないと思うのだ。

「はじめてのおつかいは、こういうストーリー構成があって、ここで山場があって、こうだからみんな涙する」

なんて解説することはナンセンスだと思ってしまう。

一方で、ロジカルな思考が求められる場面もある。「どうしてこの記事が読まれたのか?」というのを分解できないと、再現性を持って読まれる記事を書くことはできないし。

それに、感情論だけじゃどうしても納得してはもらえない。いくらわたしが愛を持って語ろうが、論理が破綻していてはダメなときもあるのだ。

ただ、すごーく難しいのだが、ロジカルに寄っても、エモに寄っても、いけないのだ。

感情だけでワッと意見を押し通すこともできないし、論破するだけじゃ人の心は動かない。

この両方をバランスよく持っている人って、実はかなり少ないんじゃないかと思う。

実際、わたしは会社にいたときは多少なりともロジカルに考えられたはずなのだが、独立して感情先行で物事を取捨選択するようになってからは、若干仕事ができなくなった気がする。

上司の前で泣いてはいけないのは社会人として当たり前だが、たぶん今の私は悲しかったら普通になく。

理不尽なことがあっても口をつぐむのが社会人だが、たぶん今の私はめっちゃ反発する。

子どもじゃん、という感じだが、それもそのはずで、100%感情で動いているのが子どもなのだ。ロジカルとか知らんがなー!

そもそもロジカルな時点で面白くないかんな、再現性あるってことだかんな、と「面白さ」が物差しになってしまっている時点でヤバい。

とはいえ、0%ロジカルでも仕事にならないので、なんとかその間を取っていくのに必死なのが今だ。

どうにかなりませんかねこれ。

感情には素直で嘘をつかない人でありながら、筋の通った思想を語れる人でもいたい。


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