父の一周忌で感じた父の愛
父の一周忌が無事終わりました。
そのために東京に帰ったのに、それ以外の予定が多過ぎて、目的を忘れかけましたが(笑)
その日は雨男の父らしく、時間ピッタリに降らせくれて、本当にあっけない法要になりました。
祖父母の代までは、僧侶親族集めての一大儀式だったけど、、、
コロナを機にこういうのは簡易なスタイルになっていくのだろうか。
まぁ故人を偲ぶというか、親しい親族の顔合わせという感じでしたが、こんなこともないと会いに行くのも遠慮するご時世なので、叔父や叔母の元気な姿を見られただけでもよかったです。
母とも1年ぶりに会えたけど、一回り小さくなった身体から月日を感じることができました。
帰国後すぐに会いに行こうと思ったら、まずは面会の予約が必須、しかも海外からの帰国者は3ヵ月は面会できず、NOワクチンは面会すらできないという厳戒体制。
なので母が法事のために外出できなかったら、今回の滞在では会うことができなかったかもしれない。
母は母でずっと外出できず、ホームの中でしか過ごせず、なんだか牢獄みたいと笑ってます。
なので久しぶりの外出だったので、まずはいつも訪れていた蕎麦店でご馳走をいただく。
びっくりするくらいの食欲に、ホームでの健全な生活が伺えた。
しかし、お墓参りの時少し歩いただけなのに具合悪くなってしまい、貧血のように倒れてしまったのです。
叔父などに支えられ、車に乗せられるとすぐにホームに戻らないとならなくなってしまいました。
なんか匂うな〜と思っていたので、車に乗せる時チラッと後方のオムツを開いて見たら、便を漏らしていました。
本人はわかっていると思うけど何も言わなかったので、私達も知らないふりをしていたけど、しきりに『消臭剤買って』と言っていたので気にしていたのでしょう。
ホームまではずっと寝たままの移動になったのですが、、、
ふと、母は幸せなのだろうか?
と考えた。
父が亡くなる1年半前に、父がようやく夫婦だけでは暮らしていけないことを悟り、父が自分で施設を見つけてきて、実家を売却して夫婦でホームに入った。
その時、様々なタイプの施設があることを知ったが、多少お金はかかるけど居心地を重視した介護付きマンションを選んだ。
自宅から離れること、ホームでの暮らし、夫婦別室の何もかもに不満だった母を説得できなかった父との葛藤がしばらく続いたが、最終的に私たち娘による説得で入る決心をした。
入所後は毎日のように泣き言の電話が母からかかってきたが、一ヶ月もかからず友達が出来て、私達の心配をよそに楽しく暮らしてる。
父が居なくなった今も、ほとんど部屋にいないくらい友達の部屋に行ってお喋りしたり、至れり尽くせりの生活に満足しているようだが、孫や子ども達とも気軽に会えない今の生活をどう思っているのだろうか。
父は実家を手放す時、仏壇も位牌も処理することを決めた。
さすがに位牌は母の元に置いたが、長男である弟にそれを託さなかった。
理由は話さなかったけど、長男であるという責任を息子に押しつけたくなかったのかもしれないと理解した。
そんなことも見越して、自分の寿命も自覚して、最期まできちんと形を作った父を1年経って改めてすごいと思った。
初めは父のわがままと思っていたけど、自分が居なくなった時に母に寂しい想いをさせたくないという愛情だったことに母は気付いているのだろうか?
そんなことを母を送りながら考えていたら、ホームに着いた時
『こんないい場所を私のために用意してくれたお父さんに感謝だわね』
とつぶやいてホームへ入っていった。
一年経って実感した父の愛。
天国できっと『遅いぞ!』と言いながら大好きなお酒を嗜んでいるのだろう。