見出し画像

好き、ということについて

先日、友人からの紹介を受けた。

この状況で会うこともできないが、何往復かのやりとりを通して、この人とは合わないなあと思ってしまった。

「どんな人がタイプ?」と聞かれると、いつも困ってしまう。全然わからないから。私はきっと、どんな人のことでも好きになる可能性があるし、どんな人とでも恋に落ちる可能性がある。そんなタイプ。優しくて、驕らなくて、どこかにセンスがある人が好き。話し方でも、服装でも、音楽でも、なんでもいいから。お互い、どこかに憧れや尊敬がないと、人として大切にし合えない気がしちゃうよね。

今までお付き合いしてきた人のタイプはみんな違ったし、それに至らないなと自分で結論づけた人のタイプもみんな違った。

そもそも今まで恋に落ちたことがあるのか、自分がしてきたことはちゃんと恋だったのか、我ながら懐疑的である。私は、恋というものがなんなのか、ちゃんと理解していない。

そもそも好きとはなんなのか。人のことを好きという感情はもちろんあるけれど、親友のことを心から好きな気持ちと、恋愛する相手に寄せる好きな気持ちは何が違うのか。

相手と抱き合いたいなと思えたら、それは恋愛感情に区分されるのか。それができなければ恋愛感情ではないのか。魅力的に思えない人と抱き合いたいとは思わないが、容姿端麗な芸能人に焦がれる感情は恋ではないだろう。

「好き」と「執着」とは何が違うのか。

『その人が欲しい』『私だけをみていて欲しい』『私をたくさん愛して満たして欲しい』そんな気持ちは欲望であり執着だろう。でもそれらは恋愛感情と呼称される。なぜだろう。

合わないなぁと思う人から好意を寄せられても、その人のことを人間として好きになれても、自分を満たして欲しいとか、もっと求められたいとかは思わない。


いろんなことを考えると、よくわからなくなる。同じようなことを、(よくわからないんだよな、ということを)もう何年も考えていて、疲れたので文章として残す。

今日は母の日だ。家族のことを大切にしたい気持ち、大事に思う気持ちがある。家族のことを好きでいたいとも思う。これは好きなのだろうか?

好き、ということについて、私はまだ理解できていない。









この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?