【私と息子 #6】入院生活 苦しいことも楽しいことも2人で一心同体の日々
こんばんは、@hanamizukiです。
自己紹介
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緊急入院から始まった約一ケ月の入院生活は、それまでの息子との暮らしとは全く別物になっていくことを覚悟しながら、この先どうなっていくのか不安と恐怖しかない日々でした。
「心臓」の疾患だけではなく、それも難病に該当する症状で「心臓移植」が必要とする日がくるかもしれないという突然の告知。
「目の前が真っ暗になった」というのは、親の方が大きく感じるものなのかもしれません。
息子は、血痰を吐いても熱を出しても、注射を何度もしても、心臓カテーテル検査、レントゲン検査、心エコー検査、心電図、内服の苦い薬、一日に何回もの尿の回数があっても、すべて受け身で頑張ってくれ、大人がよく簡単に口にする「イタイ」「ツライ」「苦しい」「イヤだ」という言葉をしたことがありませんでした。
注射や検査も「おかがいいー」って泣いても、心臓カテーテル検査後のぐったりした姿をしていても、いつもにこにこ笑って、絵本を読み、玩具で遊び、プレイルームで遊び、出会ったお友達も優しく見守り、家族皆が会いにきてくれるのを楽しみに、本当によく頑張っていました。
もちろん、注射や検査、お薬、励ましていたこともありますが、それでも息子が私を信じついてこなければ、乗り切ることはできませんでした。
ずーっとずーっと一緒の時間は、育児休暇以来の時間。
入院生活といえ2人で過ごした穏やかな時間で、息子が逝ってしまった今でもこの時間に戻りたい、病院に戻りたい、と思ってしまいます。
助かっていたかもしれない、と考えるからなのか。
2人の穏やかな時間に戻りたい、と考えるからなのか。
「心臓移植」を選択していった子供たちはどうなっていくのか、この頃はよくネットで見たり、調べなおしたりもしています。
海外での移植を行った子達はその後どうなっているのか、目にすることはなかなかありませんが、順番待ちをしている子、待っている間に亡くなった子、人工心臓をつけている子...
「息子が生きていたら今頃は何をしていたかな」と考えることがよくあります。どこの場所でどういうことになっていたとしても「それでも生きていてほしかった」という気持ちと「もっと苦しませることになっていたかもしれない」という気持ちが交差し続け答えは出てきません...
「検査結果が出るまで退院したくない」ということも選択の一つだったかも?病院で過ごすことが最善の方法だったのか?これもまた同じように苦しみ答えは出てきません...
入院生活は苦しいことも楽しみを見つけることも一心同体だったということは確かです。
レトルトご飯を温めに給湯室に行くのも一緒。
「mili君、ドア開けてー」
「うん、いいよー。ボタンはここー?」
「そうだよー。」
いつもご飯を温め終わるまで、ソファに腰掛けて2人で待ってたね。
簡易ベットの出し入れも一緒。
「ガラガラガラガラ~(笑)」
「開けてくださーい、電気オン!」
「きょうはすくないねー。」
「きょうはいっぱいだねー。」
簡易ベッドを押してくれてありがとね。
自販機のお買い物もいつも一緒。
「miliはー、なっちゃん!」
「おかは、トマトジュースでしょー!」
mili君はいつもなっちゃんのリンゴジュース。
お母さんはトマトジュース。
缶ジュースでの“カンパーイ”もう一回やりたいな。
シャワーも歯磨きも一緒。
「おかーさん、きょうのパンツ、カラフルだねー。」
「おふろのそうじ、miliくんもやるー。」
髪の毛洗うのなんて入院中一回だけだったね。
でもいいんだよ、それでいいんだよ。
イヤなことはイヤって言っていいんだよ。
それが、生きているってことなんだから。
もう、我慢しなくていいんだよ。
頑張らなくていいんだよ。
miliは、ずーっと一人で頑張ってきたんだから。
お母さんは、miliの味方だよ。
ずーっと一緒にいるからね。
もう離れないからね。
大丈夫だよ。