自分を理解し、愛してあげること#2
(ピンポーン)
家が近かった友達が週に1度、わたしの様子を見に来てくれた。
ときに、手紙を書いてきてくれることもあった。
そんな人情深い友達を、わたしは出迎えることができなかった。周りの視線や中傷から逃げてきたことで疑心暗鬼になり、人を受け入れられなくなっていたのだ。
そのため感謝しつつ、一緒に暮らしているおばあちゃんに受け取ってもらっていた。
この頃、嫌々ながらわたしは学校の代わりに
医師会館へ通っていた。
現役を引退した先生方がそこへきて、それぞれ専門教科を教えに来てくれている。
ここへ通う生徒の多くが環境に馴染めなかったり、いじめを受けて学校へ行けなくなった生徒たちであった。
その中には、リストカットした跡がある生徒もいた。
身体の状態により、精神科(大きな病院)で処方されるお薬は変わっていたものの、頭痛と倦怠感(けんたいかん)にずっと悩まされていた。
その次にめまい・抜け毛が酷くなり、直毛で艶やかであった髪は手ぐしするとスルスル抜けるようになった。
(寝不足・栄養不足の影響が大きいと思う)
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そんな私だったが、中学を卒業後、通信制の学校に行くことになる。
と同時に、わたしのスマホを用意してくれた。
そこでは知る人のいない学校で、0から友好関係を築こうとワクワクしていた。
だが、そう容易なことではなかった。
通信高校とはいえ、単位を取るためには授業にある程度出席しなければならない。その学校の中にも、ヤンチャそうな生徒も少なからずおり、久しく人と交流を避けていたわたしにとって、恐れる存在である。
その日が初登校だったわたしの隣の席に、強面の生徒が着席した。
自由席のなかで どうしてここに… と思ったが、息をひそめることに必死であった。
家に帰ると、わたしは親に弱音をはいた。
すると『 無理していかなくてもいいんだよ 』と、親は逃げ道をつくってくれた。
その言葉にホッとしたわたしは、その後
通うことはなかった。
こうして、スマホを手にしたわたしの引きこもり生活が始まった、、、。
今回はここまでに 》》》
【振り返り】
本章までが、学校へ通っていた時期になります。
わたしは中学~高校あたりの年の記憶がはっきりしていません。
お出かけは、年に指で数えられる程度、、。
それでも傷ついた言葉や悪意ある行いは、未だに
思い出すときがあります。
そうなると外食さき、旅行さき、どこであっても泣きだしてしまいます。
とはいえ、生きづらいから死にたい、消えたいと
マイナス思考にならないよう、わたしはココロを落ち着かせるために、まず音楽を聴きます。
あえて感傷に浸ることで、気を紛らわすのでなく、そこで本来の自分の弱さを受け入れるのです。
『わたしもひとりの人間だ。
傷つけばココロは痛むし、溢れだす涙は止められない!』
ココロの中でそう言っています。
今まで何度も泣いて乗り越えてきました。
と言いつつ、わたしのやり方が正解とは思いません。
十人十色なので、わたしにとっての解決は今のところ、このやり方・考え方なのです。
本章を最後まで読んでくださった方、
ありがとうございます!
次回の投稿も、
1週間後を目安に更新していきます♪♪♪