見出し画像

「記憶の消える恋」

彼と初めて出会ったのは、秋の終わりだった。
木々の葉が赤く染まり、風が吹くたびに舞い落ちる。私は公園のベンチに座り、遠くを眺めていた。

「ここ、座ってもいいですか?」

優しい声だった。振り向く前に、心臓が跳ねるのを感じた。
私は目を伏せたまま、こくりとうなずいた。

横に座った彼は、しばらく何も言わなかった。ただ静かに、同じ景色を眺めていた。

「この公園、いいですね」

私の心が少しざわつく。
こんなに落ち着いた声を聞いたのは久しぶりだった。
でも、見てはいけない。

私は特別な力を持っている。
目が合った相手の記憶を消してしまう能力。
そのせいで、私は誰とも深く関わることができなかった。

「あなたは、よくここに来るんですか?」

彼の問いに、私は小さくうなずいた。

「そうなんですね。僕も最近、ここに来るようになりました」

ふと、彼が笑った気配がした。
どんな表情なのだろう。
どんな目をしているのだろう。

見たい。
でも、見てしまったら。

私は震える指先を握りしめた。

「あなたの名前、聞いてもいいですか?」

彼の声が耳に優しく届く。

名前?

久しく誰かに名前を尋ねられたことがなかった。
けれど、答えてしまえば彼は私を覚えてしまう。
そして、もしそのあと目が合ってしまえば、彼の記憶から私は消えてしまう。

「ごめんなさい」

私は立ち上がり、彼に背を向けた。

「え?」

戸惑った声が追いかけてくる。
でも、振り返ることはできない。

私の恋は、きっと叶わない。

それでも、彼のことが忘れられなかった。


数日後、私はまた公園にいた。
いつもと同じベンチに座り、空を見上げる。

「やっぱり、いましたね」

驚いて顔を上げそうになった。
けれど、寸前でこらえる。

彼だった。

「この前、突然行ってしまったから驚きましたよ」

彼は私の横に腰を下ろした。

「実は、あなたにもう一度会えたらいいなって思ってたんです」

心臓が大きく跳ねる。

「よかったら、少しだけ話しませんか?」

どうしてこんなに優しいのだろう。
こんなにまっすぐなのだろう。

だけど、私は彼を見てはいけない。

「いいんですか?」

小さな声で尋ねた。

「もちろん」

彼は楽しそうに笑う。

私は目を伏せたまま、彼の横顔を想像する。
もしも、普通の人間だったら。
彼の目を見て、笑い返せたら。

どんなに幸せだっただろう。

私は、どうすればいいのだろう。

好きになってはいけないのに、心は彼を求めてしまう。
この気持ちは、いったいどうすれば。

(続く)

いいなと思ったら応援しよう!