ハンドトリートメント
わたしが歩む道はその時決まっていく
ハンドトリートメントの資格を取得
流れを覚えて
イベントへ
母さんの手をケア
指先が痛くなった母の手を
優しく撫でる。気持ちいいね。
そう、わたしにできることは、
母に寄り添っていくこと。
喜んでもらえると嬉しい
そんな時間がすぎていく。
母さんは、入院まえになると
夜中におきて、皿の整理をしだしたり、
夜中活動をするようになった。
父は、認知症かなーといってたけど。
今、思えば、命の時間が短くなっていることを
自覚していたのであろう。
父の為に、整理しておこう。
難病にみまわれ、日に日にわるくなる
母は、最後まで、弱音を吐かずに、
友達にさえ、悪いことは、つたえなかった。
みんな、母の病気のことも知らなかった。
入院したり、自宅療養したり
そんな、生活がはじまる。
コロナ期で、面会は、制限され
会うこともできない状況、面会で
あえても、5分といわれる。
母は、もっとそばにいて欲しそうに
見つめてくる。
母は、看護師の態度に
怒りを覚えたこと。
それを、伝える。
母の、代弁として、病院側にはなす。
母は、肝性脳症を併発
その為。べんが出るようのお薬を服用
下痢ぎみになる。
その為、看護師に、おむつ交換を
頼まないといけないことになる。
それが、母にとって、苦痛だといっていた。
心あるケアとないケア。
お尻を洗うのも、初めは、男性看護師は、抵抗があるといっていた。
でも、わたしに、こう、はなした。
男性看護師の時は、、あたたかなお湯で
あらってくれる。
女性看護師の時は、冷たいお水
ひやっとなって、言葉もなにもなく、
嫌がらせのようにおもうわ。
看護師として、患者へおもうきもちは、
業務的なもの。
お金を得るための単なる仕事。
なのだろうか。
時には、心から患者への
おもいを考えてる看護師にであうと
ありがとうと心から思ったものだ。
人間は、最後まで、生きようとする。
だからこそ、悲しみや喜びや
さまざまな感情があるからこそ、その
人らしくいれるものだ。
頭では、まだ、わたしは、この世に生きていたいのだ。
みんなのそばに、いたいのだ。
でも、身体は、病魔に襲われて
いく。
悲しいものだ。
どんなに身体がつらくても、
リハビリをしようと
歩行訓練を希望した母。
そんな、母を
楽しませたいおもいで、始めたのが
ウクレレだ。