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顔色うかがってヘコヘコしてりゃあいい

「嫌われる勇気」じゃないけれど、

私にも誰に嫌われてもかまわないという時代があった。

大学時代のことだ。


クラスで目立っている人間たちに媚びへつらい、ウザがられて生きてきた私だ。

好かれるための努力が虚しいことを悟ったのだ。


そこで大学時代はいっぺん。

ズケズケとものをいい、興味のある教授にはすかさず教授室に乗り込む。

言葉はあえて選ばない。

「俺のこと嫌いなんだろう? 俺もお前が嫌いだ」  

それが念頭に常にあった。



知識欲を満たすために、鋭い言葉を突きつける。

「これつまらないですね。私の専門外です」

大学教授相手に平気でこんな無礼なセリフを言ってのけた。


これこそが強く生きることだと思った。

嫌われるからなんだ。嫌がられるからなんだ。

そう思っていた。


しばらくして友人からこんなことを聞いた。

「お前評判悪いよ。教授たちがみんな嫌ってて、会議までしてるらしい」

私は耳を疑った。

確かに私が嫌われるのは仕方ない。

しかしいい歳した大人が集まって、私の悪口会議をしているらしかったのだ。


これを機に私はチャンスを失い始めたような気がした。

あからさまだったのがオープンキャンパスのボランティアだ。

他の学生が高校生の相手をする中、私は表向きは教授の手伝い。実際は教授の監視の元の行動。

オープンキャンパスが終わってから、他の学生には再度参加の要請があったらしいが、

私にはなかった。


自分を貫き、人から嫌われながら生きるのも一つの道だろう。

しかし私のような肝っ玉の小さい人間には耐えられなかった。

私はそれ以来、気が抜けたようにおとなしくなった。


私は悟った。

人は同じ敵に出会った時、瞬時に強固に繋がり合うのだ。

そして数の力でその人やその人のチャンスを潰すものだ。


それにも耐え、自力だけで生きていけるのなら周りの人間に嫌われるのもいい。

しかしわざわざ自分から敵を作ると、その敵は団結して潰しにかかってくるだろう。

特に女性はそうだろう。


今私は職場のおばさんたちにペコペコしながらいきている。

正直情けない。

かっこ悪い。

ダサい。

けれどもこれが処世術なのだ。


「大丈夫ですか? これ手伝いますよ」

「自分が運ぶのでいいですよ」

こんなふうにおばさんたちの下僕だ。


それでも敵を作るよりは生きていきやすい。

凡人なんてヘコヘコしてりゃあいいのだ。

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