コウカイ
後悔は先に立たない。それでも私は振り返る。
本を読んだ。正確にはまだ読み切ってはいないが。
山のような積読を差しおいて、今日、渡辺憲司先生が先日出版された「生きるために本当に大切なこと」を池袋のジュンク堂で購入した。
冒頭には有名な「時に海を見よ」が収録されていた。
私は前に一度その文を読んだ気がするのだが定かではなく、読んだとしてもかなり前だった。
改めて私は電車の中で頁をめくった。もう学生ではない私にも、なぜかその言葉は強く刺さった。
今日は母校の卒業式があったらしい。
時に海を見る事ができるその時間を、僕は大切に過ごすことができたのだろうか。今はまだ分からない。この先もずっと分からないままなのかもしれないが。
少し話は変わるが、私は勝手に「創作は一人引きこもってやるものだ」と思い込んでいたようで、最近になってようやく人と話す事で自分の気持ちがまとまる事もあるのだなと気づいた。
しかし、人との会話もある種アウトプットであってあまり長く話しすぎても結果全て出し切ってしまったりもするので、バランスが大事だと思ったりもした。
そうして今日は久しぶりに人と話した。その中で少し酔いながら学生時代の話をする自分が、こう言っていた。
「たとえ別の学校に行っていたとしても、学生時代を楽しかったなと振り返る事はあったと思う。それでも、自分が卒業した学校の仲間の事や思い出を考えると、今は、結果これで良かったと思っている」
ドラえもんの道具に、名前は忘れたのだが、確か「分岐した未来を見ることができる望遠鏡」みたいなものがあった気がする。
もし、あの時別の学校に進んでいたら。
もし、あの時学校ではなく外部での活動に専念していたら。
沢山の分岐があって、別々の世界線に進む。平行世界が本当にあるかどうかは分からないが、少なくとも今の私はその望遠鏡を見たいとは思っていない。
後悔は先に立たない。あの時もっと勉強していれば。あの授業はちゃんと聞けば面白かったのでは。
そう思わずにはいられないかも知れないが、私はその代わりに大いに海を見ることができたと、今は思う。
人によっては私とは比べられないほどの大海原や、大シケの海を見ただろう。しかし、私はこれでいい。
たとえどれだけ後ろ向きだとしても、大海をボートは進む。前を向く必要もないし、止まる必要もない。
追伸:ただ、京都で学生生活を送ってみたかった、という気持ちはきっと持ち続けるでしょう。鴨川ホルモー、四畳半神話大系を読んでください。