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ナスの思い出。
喫茶店が好きだ。何をするでもなくコーヒーを傾けて、ボーッとする。タバコが吸えればなお良い。
チェーン店ももちろんいいのだが、個人店のボロい椅子に座って、煙ですっかり汚れた壁を見るのが好きだ。
だから、前の家に住んでいた頃はよく色々な喫茶店を訪れていた。個人店ならばどこでもいいというわけでもなかったからだ。チェーン店と違って多種多様で、当たれば大きいが外す時はとことん外してしまったりする。店選びは難しい。
例えば、居心地がよくてタバコも吸える場所でもBGMがUSENかなにかの歌モノだと困る。本を読みたいのにうるさく感じてしまう。
さらに常連が集まって酒を飲んでいたりすると、なんだか自分が居た堪れなくなる。
できれば客は全員一人ないし二人組で、誰もビジネスの勧誘をしておらず、紫の煙が静かに揺れるくらいの場所が丁度いい。
その店の第一印象は悪くなかった。少し古い内装も、味だった。緑色のテント看板は大分年季が入っており、店の営業年数を物語っていた。
店内は広くはなく、先客はテーブル席の老夫婦だけだった。コーヒーを頼んで、タバコをふかす。悪くない、と思った。
そういえば昼食をとっていないな、と思い立ち「ここなら食事も悪くないだろう」という根拠のない推測で「日替わり定食」を頼んだ。
店を切り盛りしていたのは初老の婦人一人で、オーダーを受けると少し考えながら言った。「何がいいかしらね。若いからお肉にしましょうか」
なんと、日替わりどころが客替わり定食だった。オーダーメイドの昼食である。かなり、いや、相当いい店だと思った。
しばらくして厨房の中からフライパンを振る音が聞こえてきて、次いで肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
ふと、婦人が口を開いた。「お茄子食べれます?」
定食は美味かった。空腹だけでなく色々なものも満たされた気がした。しかし、自分はずっと先ほどのフレーズが気になって仕方なかった。
「茄子」に「お」を付けるのも面白かったし、「茄子」と「ます」で韻を踏んでるのが何故かめちゃくちゃツボに入って、耳に残った。
不思議と語呂が良すぎて、聞いたのは2年以上も前なのに、未だにたまに思い出しては笑ってしまう。
ちなみに、その後その店に行くことはなかった。営業時間が午後4時までで、最初に訪れた時のようなタイミングはなかなかなく、終ぞ再訪することはなかった。
できることならまた、あの喫茶店の扉を開けたいものだと思ったりもする。
他にも耳に残っているフレーズは沢山ある。忘れよう忘れようと思えば思うほどそれはより頑なになって、頭に張り付いてしまう。
あれも2年くらい前。丁度喫茶店めぐりをしていた時期だった。
「除草」に行った帰りだった。細かい話は端折るが僕の学校では米を育てていて、田植えが終わると2週に1回は何人かで田んぼに出かけて行って草を抜いていた。週末にヒマな希望者を中心に行われる1泊2日の行程はまるで小旅行のようで好きだった。
特に人数は定まっておらず、回によってまちまちだった。大所帯になる事もあれば、数人しかいない時もあった。大体は土曜の午後に学校を出て、その日は夕食を食ったらあとはたらふく飲んで寝るだけ。翌日、午前中に作業を終わらせてしまえば後は昼食をとって帰るだけという、今思えばなんとも自由な旅だった。
田んぼは、栃木県の那須にあった。運転は先生に任せっきりで、学生は後ろでバカ話をしていればよかった。
5月の田植えから11月の脱穀まで、半年間に渡って那須に通うのはいつの間にか毎年の恒例行事になっていた。
その日も、例によって前日の夜にしこたま酒を飲み、眠い目を擦りながら朝の田んぼに向かった。しかし、幸か不幸か除草するほどの雑草もなく、作業という作業をせずにやる事がなくなってしまった。
そういう事は何度かあった。そうなるとどうなるかというと、引率の先生が「よし、温泉だな」と言い出す。これでは本当に旅行である。「田んぼ見学」が旅程に入ったというくらいのものだ。
本当は除草のためにとってあった時間がいつの間にか温泉の時間に変更されていて、先生の運転する車に乗りながら「しめしめ」と思っていた。
温泉コースになると、風呂を出てから大体は「じゃあ帰るか」となって、「昼食はサービスエリアにしましょう」となる。しかし、その日は違った。
「そばが有名だから、食いに行こう」
もはや観光である。温泉に入って名産品を食ってしまったらもうそれは旅行だな、と思ったがもちろん心は躍っていた。
「鮎がついて来ますのでね」と女将さんが言った。8人がけくらいのテーブルに座り、各々好きなメニューを頼んだ後だった。どうやら、一人一匹焼きたてのあゆが貰えるらしい。至れり尽くせり、である。
鮎は、メインメニューより先に出された。焼きたての、程よく焦げ目のついた串に刺さった鮎が出てきた。
もちろん、我々は譲る。先生を差し置いて自分が鮎にかぶりつくなど言語道断である。
「さ、先生、お先に」と言い、自分達の分が到着するのを待った。
思えば、不気味な静寂であった。
特に疲れているわけでもなく、特に不機嫌なわけでもなく、しかしとくに話す事もないせいかテーブルは静まり返っていた。
一通り「鮎がついてくるなんていいですね!」みたいな話をして、「いい場所ですねここは」くらいの温度感で、別に無理に話す事もないな、と皆も思っていたような気がする。自分のメインメニューが運ばれてくるまでは特に言う事もなく、ただ黙っていた。
ふと、静寂が途絶えた。
「あちっ、あちっ」という声がした。その主は、僕の隣で鮎に勢いよくかぶりつく先生だった。
「まあ焼きたてだもんな」と思って何も気にしなければ良かった。何も可笑しい事などないはずだった。
しかし、先生はチャレンジを止めなかった。
「あちっ、あちっ、あちちっ」と、他に客もおらず静まり返った店内に彼の声だけがこだましていた。
無理だった。死ぬほど面白かった。他に音がないせいで余計に笑いの沸点が下がっていて、どうしようもなくただ笑いを堪えるしかなかった。
下唇を必死に噛んで、「面白いと思っているのは自分だけだ」と自分に言い聞かせようとして周りを見た。それは見事に裏目に出た。
向かいに座っていた友人もまた、先生の言葉に肩を震わせはじめていたのだ。一瞬、目が合ってしまった。「これ、面白いよな」と言われている気がした。同時に、「これ、笑っちゃいけないよな」とも言っていた。
それからしばらくは地獄の時間が続いた気がする。もはや辛すぎてどれくらいの時間が経っていたのか思い出すことができない。
僕はまるで厨房を確認するかのように先生に背を向けて深呼吸をしたり、不自然な咳払いをしたりと様々な策を講じた。
その間も「あちっ」という連呼は止まず、友人も僕も、とんでもない拷問を味わっていた。
あれから2年以上。それほどの時が過ぎても、あの時のことは思い出してしまう。きっと説明しても面白くないということは分かっている。
ただあの場にいた人だけが味わってしまったあの笑いの記憶は、おそらく一生引きずってしまう。あの時あの場所にいた人達と会うことができなくなったら、僕はこれを墓場まで持っていかなければならないのか。それはあまりに荷が重すぎる。
2つのナスの思い出が、未だに浮かんできては当時の事を思い出させる。どちらかが初夢に出てきたら、それは一富士二鷹三茄子に換算されるのだろうかなどとくだらないことを考えながら今日も思い出し笑いを堪えている。