制約と某
「セイヤク」と聞くとチェーンを思い出してしまう。俺には念能力を使う力がないので残念ながら水見式をやっても意味がない。
こないだ誰かが『恐ろしくはやい』って言った時すぐツッコめたの嬉しかったな。全てのマンガの引用にツッコめる人間になりたい。
しかしマンガもアニメも必修科目が多すぎてついていけないよ。加えて家は小2でテレビがなくなったので「あの頃の番組」とかにも弱いよ。悔しいから勉強だ。みんなの引用に応えたい。
何の話をしているんだか分からないけど、とにかく「いい引用」は沢山ある。
それで言うとこの夏は『ごらんよビール これが夏だよ』を推したい。これは岡本真帆さんの『水上バス浅草行き』という歌集からの引用。下の句をところ構わず引用したい。あわよくばビールを飲みたい。
前々からちょくちょくTwitterで短歌を拝見してはいたけど、本になったものを買ったのは初めて。
2日かけて読んだ。1日で読み切るのはもったいなかったから。
池袋のジュンク堂で購入して、喫茶店に入って、天気が良かったから外の灰皿でタバコを吸いながら読んだ。友達を待つ間、何度も頷いたりニヤついたりしながら。
三十一文字(みそひともじ)で現れる情景があまりに良くて、ありきたりだけど感動した。
例えばTwitterなら140文字。noteだったら僕はいつも1000文字を目標にしている。インスタは短めにして、たまに小説を書く時はたくさん。
制限があるわけじゃないからnoteでは色々と書く。無駄な事も書く。別にいらない描写も書き込む。
でも、短歌は三十一文字という大きな制約があって、その中で何かを表現しなくてはならない。
それはとても難しい。が、同時に美しい。
何か制約があることで生まれるものもあると僕は思っている。例えば曲を作る時だって「今回は〇〇分以内にする」とか「この楽器を使う」とか、縛りを加える事でいつもとは違う何かを生み出そうとしている。
足りない中であれこれして、無駄を削ぎ落とした31文字。
まだまだ未熟で、うまく言い表せないことが多くて、説明を読者に任せてしまいたい時もあるけど。
制約があってもそれをデメリットでなくメリットとして見れるようになりたい。そういう作品を作りたい。
そう思いながら今日もnoteを書いて、短歌を考える。
今はまだ、1000文字を費やしても伝えきれない僕だけど、いつか削ぎ落とされた完璧な31文字をうたえるといいな。