味玉ひとつでケチケチするなよ

友人から『岡本太郎展』のチケットを貰ったので久しぶりに上野へ。都美館に行くのは去年のゴッホ展以来だ。
駅から出ると素晴らしい秋晴れの空が広がっていて、頑張って早起きした甲斐を感じた。やはり朝から美術館の予約を入れるのは良い。1日が長い。

しかし平日の午前中だというのに、人は多い。改装が終わった西洋美術館を横目に、人混みの中を進む。旅行者だと思われる見た目の人も少なくない。数年前ともうマスクぐらいしか違いを見つけることはできないかもしれない。

銀色の球体に映る歪んだ自分を一瞥しながらエスカレーターに乗る。やはり人はまだ多い。
コインロッカーに荷物とジャンパーを入れて中に入る。
油絵具の特徴的な匂いがツンと鼻をつき、美術館の中にいることを改めて実感する。

「岡本太郎といえば太陽の塔」といったイメージが自分の中にあった。正確には、自分の中にそのイメージがあった事を初めて意識させられた。
展示は非常に面白かった。あまり彼について詳しく知らない僕も、順路を進むにつれて段々と分かるような気がしていた。

そういえば、造形作品の素材として多く使用されている「FRP」の表示を見て思い出す。中学の時の美術の授業で、たしかに自分もFRPを使ったことがある。
しかし、どんな作品になったかも、どんな材質だったかも既に朧げだ。
学校というのは時に残酷で、本当に学びたくなった時にはもう手遅れだったりする。

一通り回った後は、ショップで頭を悩ます。「いや、これは流石に払えないな…」と断腸の思いでグッズを棚に戻す。
結局大したものも買わず、せいぜいチケットをくれた友人への手土産くらいで外に出た。

改めて展示会のショップには弱い。どうせ使わないだろうといったものまでなんだか絶対に必要な気がしてしまう。
いつも美術館を出た後は疲れを感じる。今までは美術作品というエネルギーの塊と対峙した事による心地のいい疲労だと思っていたが、そのうちの何割かはショップでの葛藤によるのかもしれない。

上野駅まで帰っても、まだ日は高い。日差し暖かく、心なしか元気なので歩いて御茶ノ水へ向かう。
アメ横を通り、御徒町へ。このまま神田まで出て神保町に行くのもアリだと思ったが、どう考えても御茶ノ水の方が近いので却下。
どちらにせよ神保町は目と鼻の先。後で行けばいい。

中央通りに出て、秋葉原へ。途中イヤホン専門店を少し覗く。目ぼしい物はナシ。
中学生の頃はよく御茶ノ水で降りて秋葉原まで歩いていた。今日は逆方向から神田川を渡って坂を登る。

御茶ノ水ではダラダラと楽器を見る。特に買いたいものもない(本音を言えば欲しいものは沢山あるが今ではない)ので、話しかけられても適当にあしらう。
「これいいな」と思い、値札を見て目を逸らす、の繰り返しで次の店へ。

御茶ノ水には楽器屋がとにかく沢山あるので、ある程度見終わる頃にはもうとっくに日が暮れていた。店内には蛍の光が早く帰れと流れている。
神保町はまたの機会にしようと決め、駅へ。

空腹を感じ、夕食をとることに。
駅前にあったチェーン店の扉を開けると、一列のカウンターが目に入った。
入り口に1番近い橋の席が空いていたので座る。混んでいる訳ではないが、空いている訳でもない。
麺類の店なので回転は早く、カウンターの面々は次々に変わる。席を一つ開けてスーツの男が座る。

ホールの店員は初老の男性。おそらく店長か、周りに指示を出している。こういっちゃなんだが、少し騒がしい。声もそうだが、常にどことなく慌てていてせわしない。
店主というのはもっとどっぷりと構えていて欲しいものだ。
客が入ってくる。
「3人です」
「今カウンターでバラバラになっちゃうんですけど大丈夫ですか?」
「あ、じゃあ待ちます」
入り口付近に座ったせいで色々聞こえてきてしまう。

僕の隣は空席、その隣にスーツの男、その隣は2席続けて空いている。僕にも彼にもまだ料理はサーブされていない。
初老の男性はしばらくしてからスーツの男に話しかける。
「すみません、一つずれてもらえませんか」
「はい、言われるだろうなと思ってました」
なるほど粋な返しだな、と思った。
「ありがとうございます。味玉サービスいたしますんで」
おっと、それは少し違わないか?

いや、別にいい。別にいいんだけど、釈然としない。
そもそも間を空けて座ったのはスーツの男だし。百歩譲って彼が感謝される事については何も言わない。
が、味玉サービスは違うだろ。と思ったりする自分がいる。

もちろん口には出さない、出すはずもない。ただ黙ったまま麺を啜るがやはり釈然としない。
「別にいいだろそれくらい」と言う自分もいるし、「いや、やはりこれはおかしい」と反論する自分もいる。これぞまさにアンビバレントな感情。

首を傾げたまま扉を開ける。建て付けが悪くて少し力を入れなくてはいけない。それすらも嫌に感じる。坊主憎けりゃとはこの事だな、と思い店を後にした。

帰りもまたどこかまで歩いて帰ろうかと思ったが予想以上に疲れていたので大人しく御茶ノ水から電車に乗る。
丁度よく到着した車両に乗り込むと、なんだかもうどうでも良くなってしまった。たかが味玉ひとつじゃないか。なんてったって俺は午前中に岡本太郎の作品を見てるんだ。

そう思うと、なんだかあのスーツの男も多分いい人なんだろうと勝手に想像したりする。モグライダーのともしげにちょっと似てたな。
あの店員だって頑張って働いているんだ。味玉ひとつでケチケチしたって仕方がないと、素直に思えた。

岡本太郎は太陽の塔を計画段階でこう表現した。
『ベラボーな神像』

ベラボーな神像と、ちっぽけな味玉。スケールが違いすぎて、比べるまでもない。最寄駅に着く頃にはすっかり味玉の事なんか考えなくなった。

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