第三章 順徳院の独白 つづき
私はかつて天皇だった。そのあとも、周りにはいつも、供の者が傅いている。供のものとは、食べる場所も、休む場所も違う。対等に話す相手がほしいときは、寺社にでかけ、その社の主と話をするようにしている。村人たちは、私だけが神社の神様と話がでるのだと信じているようだ。
あるとき、村の名主たちが、揃ってやってきて、神様に会いたいという。あなたがよく籠って話されているのは、皆知っていますと、いうので、連れて行ってやった。本堂に入り、扉を閉ざし、いつものように神様がやってくるのを待つ。村人たちはみな、頭を下げて待っていた。私がいつものように神様と話をして、半刻ばかり過ぎ、和やかに別れると、村人たちが寄ってきた。
「神様を見ただろう。」
わたしは、尋ねた。
「それが、あなたさまがお話をされている間、頭をあげようとしても、何かに押さえつけられていて、顔をあげることができませんでした。あなたさまのお話し声や、相手のうなづく声はしても、姿をみることが叶いません。いま、こうやって神様が去られて、初めて顔をあげることができたのです。」
名主のひとりが、そう答えると、残りも者もみなうなづく。
あるとき、村人が、ひとりの男を連れてきた。京に働きにでかけ、狐がついたので戻されたというのだ。男は自分の親の顔もわからず、何をたずねても、ひとことも話せない。佐渡には「むじな」はいるが、「狐」はいない。だれも狐を退治することができないでいると、古老が、狐は天皇に弱いといいだした。昔から、宮中に伝わる鼓は、狐の皮だし、狐は帝に出会うと逃げ出すという。
「わたしは、一度天皇をしくじった人間だから、効き目があるかどうか、わからない。」というと、村人たちは揃って、あなたより、位の上の人はこの島にはおりません、どうぞ、助けてやってくださいと、頼み込んだ。
やがて、狐が付いたという男が連れられてくると、すぐさま一匹の狐が現われた。驚く人々の前に、狐はひれ伏している。帝の前で畏れ多いとうなだれているのだ。一方、男は狐がとれて、放心したようにしている。ここがどこかもわからないらしい。村人たちをうながし、男を連れ返すように指図した。さて、残った一匹の狐、人の言葉が話せるようだ。
「狐、この島には「むじな」はいるが、狐はいない、留まると見世物にされてしまうだろう、早く京にもどるがいい。」
わたしは、できるだけ穏やかに話す。
「お情け深い、順徳さま、ありがとうございます。助けていただいた御礼になにか、させてください。」
狐は、床に頭を擦り付けるようにして、礼をいう。
「それなら、少し遠いが、鎌倉に行って、北条泰時に会って参れ、余の使いだというのだ。そして、しばらくの間、泰時が元に居れ。何をしてもいいぞ。お前が京で付いた村人よりも、よほど面白いことができるだろう。」
わたしは、そのとき、正気だった。鎌倉方には、腹に据えかねることが多い。
狐はすぐさま姿を消して、走り去った。
後鳥羽院のご崩御のあと、有力御家人が亡くなったり、泰時が重い病にかかったりと、鎌倉でも異変が続いたという知らせが届いたのは、この少し後である。
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