アパートメント紀行(32)
アンティーブ #2
鳥のさえずりで目が覚める。爽やかに起きて部屋中の窓を開け放ち、やわらかい風を肌に受けながら窓の外を眺める。寝室の窓からは、生垣に咲き誇る赤や黄色の花々が見え、キッチンの窓からは、裏手に建つシックな平屋の家が見える。引退した美術教師のご夫婦が住んでいるという平屋は、なんとシンプルで素敵な家だろう。
リビングの窓からは、テラコッタ敷きのテラスが見える。そこにはパラソルが用意されていて、その下のテーブルで、私は朝ごはんを食べるのだ。
キッチンには、小さなテーブルが壁にぴたりと置かれていて、椅子が二脚ある。キッチンの壁にこうやってぴたりとテーブルを置くことが、なんとなく憧れとしてあったけれど、私ならリネン類は、キッチンのシンクの赤に合わせた色に統一するだろう。もしここが私の家ならば、変えたいものはたくさんある。そんな気持ちもきっと楽しさを生んでいる。
テラスでゆっくりと朝ごはんを食べ、洗濯をして、燦々と降り注ぐ太陽の下、日焼けをしながらテラスに洗濯物を干す。そしていよいよプールへ行く頃合いだ。
水着に着替え、そのまま行ってもいいものか一瞬迷い、タマラが用意してくれたタオルの中から一番大きいのを肩から羽織り、サンダルを履いてプールへ行く。誰もいないプールで、足先を水につけると、水はひんやりしていたけれど、そろりそろりと少しずつ、うつくしい水の中へ入ってゆく。
ああ、なんという快楽。このプールさえあれば、どこにも行かなくてもいいとさえ思える。蝉と鳥の鳴き声と、自分の立てる水の音しか聞こえない。空には雲一つなく、生き生きとした緑の木々は、時折吹く風に葉を揺らしている。二階からは海が見えるのよとタマラがいっていたけれど、私には、見えなくともそこに、地中海があるのがわかる。
家には誰もいないのだろうか。物音一つ聞こえてこない。私は水から上がり、デッキチェアに寝転がり、サングラスをかける。
しばらくするとじりじりと太ももが熱くなり、水に入ってほてりを冷ます。そしてまた太陽に焼かれ、また水に入る。その二つの動作だけを延々と繰り返し、ああ、もうこのまま溶けて無くなりたいと思い始めた頃、門の開く音がして、二人が帰って来たのだろう、木々の間から車が入ってくるのが見えた。
玄関が開いたり、誰かが走り回る音がして、私の周りに生活音が戻ってくる。デッキチェアでうとうとしていると、水着に着替えたルドゥミラがやって来て、こんにちは、という。
ルドゥミラは、元気いっぱいに何度も飛び込みの練習をして、シンクロナイズドスイミングの教室に通っているのといって、習ったばかりのまだ下手くそな技を見せてくれる。そういえばルドゥミラは、私に英語で話しかけてくれる。この子はいったい何ヶ国語話せるのだろう。
やがて水着に着替えたタマラもやって来て、私の隣りに寝そべる。明日はアンティーブの中心街へ行く予定だから、ピカソ美術館へ行くんだったら連れてくわ、といってくれる。やさしくて親切なタマラ。ありがとうとお礼をいうと、あ、ダメだわ、明日は月曜日だから美術館は休みだわ、とタマラが気づく。ヴァカンスシーズンなんだから美術館は休むべきじゃないわよねえと、働き者のタマラは少し怒ったような感じでいう。
タマラとルドゥミラがプールでじゃれる声を聞きながら、いよいよ本格的に眠くなってきて、二人にお先にといってプールから引き上げる。シャワーを浴びるために水着を脱ぐと、浴室の鏡に映った自分の裸にびっくりする。水着を脱いだのに水着を着ている! たった一日で、くっきりと水着の跡がつくことを、十数年ぶりに思い出した。
シャワーを浴び、ちょっと昼寝のつもりがしっかりと眠ってしまい、トイレに起きたついでにパンをつまみ、それからまた朝までぐっすりと眠った。
何もしない夏休み。出来れば一日中プールサイドで過ごしていたかったけれど、食べるものはなくなるし、タマラたちに心配されるだろうから、滞在四日目にしてやっと、山を下りる決意をする。
タマラが教えてくれた道をひたすら下って行くと、十分もかからずに海沿いの通りへ出た。タマラが教えてくれた美味しいパン屋さんがあり、ちょうどお腹が空いていたので、他の人たちに倣い、玉ネギのピザとコーラを頼み、店の前にある背の高いテーブルに肘をついてピザに齧りつく。
それは、一口食べた瞬間に、うまっ! と思わず日本語でいってしまったほど美味しいピザで、私の反応に気を良くしたパン屋のお姉さんたちが、玉ネギのピザはこの辺の名物なのよと教えてくれる。
それからフランスでは毎日食べても飽きないパン・オ・ショコラを買い、海辺へ行き、相変わらずキラキラと光っている海を眺めながらビーチに座ってぼんやりする。
サングラス越しでも目が痛くなってきて、私は人のいないショッピングモールへ戻り、やる気のないお土産物屋で浮き輪を買う。それからスーパーで食材を買って、山道を歩いて登る。
この辺りの家は、一軒の敷地がものすごく広い。だから、ぽつんぽつんとしか家がなく、大抵は別荘なのか人気がなかったり、もしくは逆に、大勢の人が庭のプールではしゃいでいる歓声が聞こえてきたりする。歩いている人間なんていなくて、私は誰にも会わずにタマラの家へ帰り着く。炎天下、十数分歩いただけで汗だくになり、すぐに水着に着替えてプールへ行く。
午後のプールには先客がいた。見知らぬ男の人が泳いでいる。昨日までは閉まっていたプール側の部屋の窓が開いていて、ああ、そうか、タマラのご両親がロシアから来たのだと気づく。
何語で話しかければいいのだろうかと迷い、取りあえず笑い、ボンジュールといってみる。一見強面の、タマラのお父さんと思しき年配の男性は、笑うと百八十度印象が変わり、人のいいタマラの遺伝子はここからきたのかと納得する。
どうやらお父さんは、フランス語も英語も解さないらしく、お互いに困ったなあと思いながら、なんとなく一緒に泳いだり日向ぼっこしているうちに、言葉なんてどうでもよくなってきた。
そのうちルドゥミラもやって来て、一緒にボールで遊んだりしているうちに、お父さんともすっかり打ち解け、遠い親戚の家に遊びに来たような感覚がまた湧き起こる。
ルドゥミラはロシア語もわかるようで、私のことをお祖父さんに説明してくれている。そうかそうかと頷いているタマラのお父さんが、だんだんと田舎の好々爺に見えてきた。エクスの学校で一緒だったロシア人のナダルも、怖そうに見えてすごく優しい人だったことを思い出す。
のんびりとやって来たタマラが、私のことをお父さんに紹介してくれる。名前を教えてくれたけれど、見事に聞き取れない発音で、全く覚えられなかった。そしてタマラが、明日街へ行くけど美術館行く? と聞く。タマラはどうしても私にピカソ美術館へ行ってほしいようなので、有り難く受け入れ、じゃあ、十時に、と約束する。
タマラは運転が上手だ。後部座席に乗ってはしゃぐルドゥミラを叱りつけながらも、ハンドル操作がおろそかになることはない。十五分ほどで、アンティーブの中心部へ入る。私が滞在しているのはアンティーブの郊外だったのかと今更ながら気づき、観光客で賑わう旧市街で、タマラたちと別れる。美術館はあっち、バス停はそこよ、地図持った? と心配されながら、彼女たちに手を振る。
レストランやお土産物屋や八百屋や魚屋が混在している旧市街を抜けると海へ出た。港の方へ歩いてみると、膨大な数のヨットやクルーザーが停泊していて、奥へ行くほど船は巨大化していく。豪華なクルーザーは、まるでホテルだ。一人のオーナーのために、いったい何十人のスタッフが働いているのだろう。中には、百人以上ものスタッフが働いているのではないかと思えるほど巨大なクルーザーもあり、船の前に乗りつけられた高級車たちが、まるでミニカーのように鎮座していた。
旧市街へ戻り、地図を見ながらピカソ美術館の方角へ歩いていると、小さなビーチがある。海水浴客で賑わっているビーチを通り過ぎ、可愛らしい家々が立ち並ぶ海沿いの道を少し上ると、グリマルディ城に到着。このお城がピカソ美術館だ。
古代ギリシャ時代の城砦で、モナコ大公の先祖であるグリマルディ家が十七世紀まで住んでいたというお城は、市庁舎や兵舎として使われ、市の博物館となったのち、近隣に滞在していたピカソのために、一部をアトリエとして提供したという。お城を借りたピカソは、最上階の部屋をアトリエにし、そこで制作した大半の作品を市に永久貸与したので、この小さな海沿いの街に、世界屈指のピカソ美術館が出来たというわけだ。こんな歴史的建築物をアトリエに出来たなんてピカソってすごいなあ。
ピカソがここで描いた作品の数々は、なるほどなあと思えるほど景色にぴったりで、作品にはもちろん感動したけれど、お城の窓から見える地中海の景色にも目を奪われた。海側ではない窓からは、近隣のアパートの中が見え、お城から見下ろす庶民の暮らしは興味深かったけれど、この時期のこの辺りのアパートの家賃が高いことをネットで調べて知っていたから、今、ベランダで洗濯物を干しているあの女性は、庶民ではないかも知れない。
美術館には、隣町のヴァロリスという土地でピカソが焼いた陶芸作品も数多く展示されている。ピカソに影響を受けたという現代作家の作品もある。若い彫刻家の友人が、機会があったら絶対に見てくださいといっていたマダム・リシエの作品が、青い空と海を背景に従えて、お城のテラスで優雅に立っているのを発見し、思わずうわあっと声が出る。彫刻作品というのは、美術館の中で観るのもいいが、太陽の下で見る方が断然いい。
ミュージアムショップで、お土産に良さそうなオリジナルグッズをたくさん見つけ、今買うべきかどうか迷い、買わないで外に出る。お城の中の暗さと、外の明るさの対比に目がくらむ。
アンティーブの旧市街を、そぞろ歩いて楽しみ、魚屋と見紛うシーフードレストランに入り、ビールを飲んで魚介類のフライを食べる。デザートに屋台でフローズンヨーグルトを買って歩きながら食べ、お洒落な缶詰屋さんを発見する。魚介類専門の缶詰屋さんオリジナルのエプロンが、とぼけた魚の絵だらけで、お土産候補ナンバーワンになる。
バスターミナルでバスの時刻を確認し、バスの時間まで街をうろつく。旧市街を抜けると、モダンな街並みが少しだけあって、小さなデパートもある。旧市街は観光客で、新市街は地元客で賑わっていた。
街を堪能したあとは、一ユーロ払ってバスに乗り込む。私の大好きな、見知らぬ町の路線バス。カンヌ行きに乗ったから、私が降りるバス停に着くのは間違いなかったけれど、バスは、来る時にタマラが通った道とは違う道を進んでゆくから、少しだけ不安になる。でもそんな不安がまた楽しい。きっと私は、不安や恐怖を克服することが好きなのだ。
なんとなく見知った通りに出たので、ベルを押してバスを降りる。しかし、どうやら一つ手前のバス停で降りてしまったようで、パン屋がない。でも問題はない。歩けばいいのだ。
十分ほどでパン屋の角まで辿り着き、玉ネギのピザとパン・オ・ショコラと、それからトマトのパンを買い、山道を登る。タマラの家まで近道の山道は、ところどころ舗装されていない箇所もあって、歩いていると、赤土がサンダル越しに足に当たる。この山の向こうサイドはヴァロリス。ピカソが陶芸に目覚めた地の土を踏みしめながら歩いているのだと思えば、足取りも軽くなる。
あまりの暑さにめげそうになりながら、十五分後には入れるプールのことを考えて元気になる。タマラの家へ曲がる目印は、犬に注意の看板がある豪邸だ。アタンション・オー・シヤン。フランス語の看板が読めたのは、横にあんまり怖くなさそうな犬の写真が添えてあるからだ。いつか吠えられることを期待している。
やっとたどり着いたプールで、タマラのお父さんと、そして今日初めてお目にかかるお母さんと一緒に、まったりと水に浮かぶ。お母さんは少し英語がわかるようで、今日は何してきたの? と聞かれる。ピカソ美術館へ行ってきましたというと、うんうん、それは良かったという。タマラが行け行けってうるさかったでしょうと笑う。
タマラのお母さんによると、タマラは、アンティーブの観光大使のように、街を訪れる人を必ずピカソ美術館へ送り込むそうだ。私は水に浮かびながら、次はどこへ行けといわれるんでしょうとお母さんに聞くと、うん、間違いなくモナコよ、それも船で、と断言したので大笑いした。その日がすごく楽しみだ。